長く秘書を務めてくれた佐野さんがお亡くなりになりました。ご家族から第一報を聴いた時は「えっ」の一言だったのは、「まさか」という思いからでした。確か2年前に膵臓癌の疑いがあると診断されてから、治療と共に健康に氣をつけておられたことや、毎月の活動でご一緒していたので突然の訃報に「まさか」という思いだけでした。お世話になった皆さんに連絡をすると共に、生前の御厚情に深く感謝しました。訃報を聴いた、特に地元自治会長の皆さんは言葉を失くしていました。携帯電話の向こう側で涙が零れていることが分かる人も三人いました。今さらですが、どれだけ皆さんに慕われていたのか分かりました。
一人の方は「お亡くなりになりました」と伝えた直後に、すすり泣きの声が聴こえました。一人の方は「なんてよ」と言いながら、直ぐに涙声に変わったことが分かりました。
そして某自治会長は「今までずっと佐野さんと一緒に二人で来てくれていたのにな。今度からは一人になるので寂しいね。変わらずに来て下さいよ」と伝えてくれました。とても良くしてもらっているこの会長宅には、ずっと二人でお邪魔していたので、この言葉でさらに辛さが沁みてきます。
皆さんには「残念なお知らせがあります」と前置きして伝えたのですが、全員が「信じられない」という反応でした。市役所を定年した後は再任用で地元の連絡所長を務めていただき、地元の自治会長と強いつながりを築いてくれました。自治会の運動会や文化祭を発案し、連合自治会主催で開催したのです。この企画は「地元の連帯感を強めておくことが防災にもつながりますし、防災力を高め防犯を抑止するなど地域の力の強化につながります。是非、連合自治会でやりましょう」との趣旨からでした。
20もある自治会を束ねて開催することは大変なご苦労があったことを知っています。執行部の提案に対して、賛成の自治会もあれば反対の自治会もありました。でも「反対があるからと言ってやらなければ連合自治会では何もできない。反対意見があってもやり切りましょう」と推進役を担ってくれて実施できたのです。
この企画の困難さは、それ以降、一度も実現できないでいることから分かります。そして再任用の期限が過ぎて支所長を退任する時、「秘書としてお手伝いしてくれませんか」と声を掛けた時から今日まで、秘書を務めてくれました。特に地元自治会との信頼関係が強かったことから、日常活動でお世話になりました。
長年にわたり秘書として行動を共にしてくれて、親身になって活動してくれたことに感謝するばかりです。そして膵臓癌が発覚してからは二人で健康を願い、大楠の参拝を始めました。毎月、樹齢約450年の大楠に参拝し、その氣を得て奇跡を信じていました。佐野さんは4月末まで「大丈夫です。5月も参拝に行きましょう」と話していたので、訃報をいただいたのは、今月に予定していた参拝の日時を再度確認するところでした。ご家族からも「今月の参拝の日も近づいていたのに残念です」と伝えてくれたほど、みんなが奇跡を信じていました。
市役所時代からずっとお世話になっていた長い付き合いだったので信頼関係にあり、困難があっても助けてもらいながらここまで来ることが出来ました。心から感謝し、ご冥福をお祈りしています。長い間、お世話になりありがとうございました。
幼稚園から高校まで一緒だった幼馴染の同級生と会いました。当たり前のように会えるので何とも思わなかったのですが、今日の感情は特別です。いつもと変わらずに明るく元気で登場してくれましたが、今日の第一印象から「痩せたね」と挨拶代わりに伝えたところ、「元々痩せているからね」と笑っていました。
昔の話ではなくて「今」について話し合いました。私達は今を生きているだけで、もう一度昨日も、まだ訪れていない明日を生きることはできません。「今」を生きるだけです。明日訪れる「今」も生きることになります。人生はその繰り返しですが、何と素晴らしいものでしょう。良いご縁をいただき時間を過ごすこと。ただそのことが素晴らしいと思います。
人生で出会えたことに感謝しながら、再会を約束して別れました。