活動報告・レポート
2024年5月17日(金)
「龍馬World in和歌山」大会を開催する意義
「龍馬World in和歌山」大会を開催する意義
「龍馬World in和歌山」大会を開催する意義について和歌山大学の本山学長や高等教育実践者と話を交わしました。
- 学術研究と同じように、思想や理念を次の世代に伝えるために毎年、全国大会を開催するものだと思います。研究論文を発表するのはこの時代の学者の考え方を示し、後の時代に残すためです。学問は一度絶やしてしまうと、それを元に戻すことは困難です。学問は一足飛びで飛躍的な結果を導くものではなく、調査、研究を続けている継続性があるからです。
坂本龍馬の全国大会も同じようなもので、毎年、場所を変えて開催しているのは、龍馬の精神を絶やしてしまわないようにすることが趣旨だと思います。 - 今回、和歌山県で開催する意義は、龍馬と宗光の師弟が志を同じくして、命を賭して行動した結果、不平等条約を改正したことを討論、議論することです。それが龍馬の精神を後の世に残すことにつながるので大会開催の意義はあるのです。
- 高知県と和歌山県は同じ黒潮の文化です。龍馬と宗光が出会ったことや行動を共にしたことは黒潮文化の影響があると思います。氣が合うことや信頼関係を築けたのは、同じ文化性を有していたからだと思います。和歌山県で開催する意義の一つに両県に共通する文化があると思います。
- 歴史を語るには、時代を振り返って意義を考える力と、過去から学んだ歴史を伝えていく力が必要ですが、和歌山大会ではその両方を議論して次の開催地に伝えたいと思います。
- 全国大会を一年に一度開催しているのは龍馬から学ぶ機会を絶やさないためです。一年でも飛んでしまうと継続性が途切れますから、伝える力が弱まります。数年間、開催しないでおけば龍馬の精神は途絶えてしまう恐れがあります。続けることに意義があり、和歌山県が開催県として関われることは歴史を継続する力を担っていることになり、和歌山県にとっての誇りになるものです。
- 人は会って分かり合えることがあり、会うことは信頼でつながるものです。人は信頼関係でつながっているもので、インターネットを通じて信頼関係をつないでいるものではありません。つながるとは同じ目的を持った他者が集まることであり、その集団が時代を切り拓いていくのです。
- 130年という数字は時代を感じさせるフレーズであり、130年が節目というものではありません。長く続いている歴史を感じさせるものが数字であり、それは100年や150年という数字で示され節目と呼んでいるのです。100年を超えた切りの良い数字の年を節目というのは歴史を感じさせる意味があるので、110年も120年も今回の130年も、特別な違いはありません。つまり歴史を背負っていることを表現する数字なのです。
- 幕末は命を捨てる覚悟を持って行動した人物が登場したことに意義があり、その人物に共通していることは覚悟なのです。命を捨てても成し遂げるという覚悟に価値があり、それを教育で教えることが大事なことです。年号や出来事を暗記することが教育ではないのです。
- 全国大会開催の意義の一つは「和歌山県を知って欲しい」ということです。和歌山県は来てもらわなければ魅力を伝えることが難しい歴史の深い県です。エクスカーションに参加して県全体を体感してください。
- 不平等条約改正までの道のりは長いものでしたが、龍馬も宗光も「不平等条約を改正すれば未来が変わっていく」と予測していました。未来を予測して行動しなければ、歴史を動かすことに躊躇してしまいます。これを変えればどんな未来に変わるのか予測する力が必要です。
その他
- 元JR西日本の役員の方が和歌山県を訪ねてくれました。そこで和歌山県への愛着について話をしてくれました。「北陸から和歌山市に行くことに関して『おでかけネット』を検索したところ、新大阪で『特急くろしお』に乗り換えする結果を示してきます。大阪駅で乗り換えることも可能になっていますが、それが検索に反映されないのです。
和歌山県観光やビジネスでの訪問において不利に働いているので、JRが改善しなければならないと思いますから支社長に伝えます」。こんな話をしてくれました。 - 長年秘書を務めてくれていた佐野さんが昨夕、お亡くなりになりました。本日が通夜式、明日が告別式です。現役の秘書のまま逝去されました。これまで行動を共にしてきたことへの感謝の気持ちでいっぱいです。心からお悔やみ申し上げます。ありがとうございました。