活動報告・レポート
2024年5月13日(月)
お茶の文化
お茶の文化

日本茶の老舗を訪問した時、店主から教えてもらった話です。

「お茶を飲む器を湯呑といいます。ご飯をいただく器を茶碗と言います。お茶を飲む器が湯呑なのは変だと思いませんか」という話です。

これは「かつてお茶は高級なものだったので貴族や武士階級の人の飲み物であり、庶民はお茶を飲むことはできませんでした。当時の庶民は白湯を飲んでいました。白湯を飲むための器だったので湯呑と呼ばれていたのです。

対してお茶を飲むのは身分の高い人達であり、その器が今のお茶碗だったので、お茶を飲む器のことをお茶碗と呼んでいたのです。その当時の名称がそのまま受け継がれているわけです。日本のお茶の文化が今に伝わる話しです。

また子どもに対して『お茶目』と言うことがあります。この言葉は、可愛いという意味で使われると思いますが、ここでも可愛いの意味でお茶が登場します。お茶が芽を吹くときは芽には白い産毛が付いていて、その姿がとても可愛いのです。だから可愛い子どもに対して『お茶目』と言うようになったのです。

まだあります。茶色という色がありますが、緑のお茶の色ではないのに何故、茶色と言うのでしょうか。昔のお茶の色は、まさに『茶色』だったのです。昔のお茶の製法はあぶっていたので、お湯に濾すと茶色に染まったのです。今のお茶は蒸すので緑色になりますが、昔のお茶は茶色だったので、お茶の色のことを茶色と名付けられたのです。

お茶目も茶色もお茶に纏わる伝統文化を感じることができます。日本でお茶の文化は生活の中に浸透しているのです」と話してくれました。

湯呑もお茶碗も、お茶目も茶色も語源は知りませんでした。当たり前のように名前があるので、語源を考えたこともありませんでした。やはり専門家の話を聴くことは、それまで知らない知識を得ることになるので大切なことだと思います。

店主の意見

商店街を訪ねた時にある店舗の店主と懇談しました。

「最近思うことがあります。私も含めてかもしれませんが、商店街に、和歌山市に誇りを持っていないのではないかということです。商店街に活気のある時代は自信も誇りも持っていました。お客さんが少なくなりシャッター化していく中で誇りを持てなくなったのかもしれません。和歌山市再生の期待もしていましたが、今では以前ほど私達の意見が届かなくなっているので寂しく思っています。
 テレビで観ていると泉前明石市長の言葉は生きていると思います。首長の言葉が生きているから市民に届くと思うのです。生きた言葉を発してくれる人に登場して欲しいと思います。お城やイベント会場で市民活動をしている人が多いのは、このまちで暮らしていることの誇りと生きがいだと思うので、こんな人がいる今が和歌山市再生の最後のチャンスだと思います。行政の箱モノは整い始めていますが、箱モノは筋肉、細胞と血液は活き活きとした人の活動だと思います」。

人通りが少なくても、店主は自信と誇りを持ってお店を経営されています。この心と行動が周囲に波及していけば変わると思いますが、伝播させることの難しさを感じているようです。また行政と商店街が協調することが再生への道だと話してくれたように、意思疎通の機会が少ないと感じていることが問題だと思います。行政が建設的な相談を受けた場合、話し合いをすることは必要なことです。