令和6年度和歌山県戦没者追悼式に参列しました。毎年、5月5日に執り行っている式典で、先の大戦で命を落とした英霊の御霊をお祀りし、今日の平和を築いてくれたことへの感謝の気持ちを示しています。
式辞や追悼の辞でも「先の大戦で尊い命を賭してわが国を護ってくれた英霊に感謝」や「祖国と家族を護るために」「今日の平和で豊かな日本があるのは皆さんのお陰です」そして「平和憲法によって平和が築かれてきた」ことなど、英霊への感謝の言葉が並びました。
今日の平和は尊い犠牲のもとに築かれたこと。そして戦後生き残った皆さんの懸命の取り組みのお陰で戦後からの復興と高度成長の時代を築けたと思います。その礎を元に現代の平和と豊かさを享受できていることを決して忘れてはなりません。
戦後79年が経過していることから、戦争を体験している人やご遺族の方々、直接戦火の話を聴いた人は少なくなってきています。国民の多くは、先の大戦のことも大戦の記憶のことも聴いたことがない世代が占めるようになっています。しかしわが国の平和と豊かさは突然築かれたものではありませんし、この先も続くかどうかは分からないものです。
平和と豊かさを継続させるためには、私達が平和と豊かさを望み、そのための行動を起こすことが求められます。安閑とした意識では現代の平和と豊かさを護ることはできません。
わが国の平和と世界の平和を常に意識しなければ、それは護れないものだと思うべきです。繰り返しますが、現代の平和は、先の大戦で命を賭して戦ってくれた尊い犠牲の上に築かれているのです。
世界では戦争や紛争が絶えません。日本が平和な社会を築き、平和と豊かさを享受できていることに感謝しなければならないのです。平和を意識することさえ忘れてしまえば、子どもの時代に現代の日本を引き継ぐことはできません。現代の日本が良い国かどうかの問いかけがありますが、時代と共に良い国になっていると信じたいところです。過去の方が良かったと言うのは、懸命に社会を築いてきた人への感謝の気持ちが欠けていると思います。
戦後、高度成長時代、バブル時代からデフレの時代、平成の時代、令和の時代へと時代は流れてきましたが、どの時代にあっても、その時代を支えた人達は懸命に社会の発展に尽くしてきたのです。その最先端が現代ですから、過去より劣っていることはありません。
ですから時代の最先端を生きている私達は、この時代を少しでも「良い日本に仕上げて」次の世代に引き継ぐことが使命です。この国の平和を護るために、そして豊かな国にするために命を賭して戦ってくれた英霊と同じように、私達は現代社会を今よりも発展させることが使命なのです。命を賭してとは言いませんが、先人達と同じように覚悟をもって時代を担わなければならないのです。
戦没者追悼式は、そんな気持ちを呼び覚ましてくれることになります。一年に数回ですが、英霊の魂と会話できる機会を与えてくれていることに感謝しています。
和歌山縣護国神社で開催された春季例大祭に参列しました。これは先の大戦で命を落とした英霊をお祀りする例大祭です。午前の戦没者慰霊祭と同じように、英霊に対しての敬意と、現代の平和を築いてくれたことへの感謝の気持ちを捧げました。祖国のために、家族のために、そして後の時代に生まれてくるであろう決して見ることのない私達のために命を賭して戦ってくれたのです。戦争で命を賭したことを美化して称えるものではなく、平和を護るために命を賭してくたれたことに感謝するのです。
当時、何も防衛することなく降伏していたり、行動することなく侵略されていたとすれば、現代のわが国の平和は訪れていたのか。高度成長から現代に至るまでの豊かさは築かれていたのかは分かりません。
しかし時代に贖うことなく身を任せているだけで平和は護れなかったと思うのです。結果からその時代に行った行為を批判することは極めて簡単です。それは後の時代からその時代を見ることは、鳥瞰できることや時代評価が定まってきているので、後の時代の人がその時代を評論することは極めて簡単なことだからです。
そんな評論はその時代の価値観に照らしているので正しいかもしれませんが、当時の価値観を後の時代の価値観で図ることはできません。
だから私達とはその時代に起きた出来事を批判ではなく教訓として学ばなければなりません。批判や評論をしていても学ばなければ、同じような過ちを繰り返してしまいます。時代から学ぶこと。そのことを春季例大祭で感じることができました。案内いただいた和歌山縣護国神社に深く感謝しています。