高野山奥の院で開催された「昭和殉難者法務死英霊追悼年次法要」に出席しました。この年次法要は今回が31回目の開催となるもので、31年間、継続して先の大戦で命を落とした英霊をお祀りしています。僕は案内をいただき毎年出席していますが、いつも思うことは、平和な社会は築いていくものだということです。今の世代が平和を維持することを忘れてしまうと、崩れてしまう壊れやすいものだということです。そんな尊い平和を感じるためには、このような英霊を追悼する法要に出席することが大事だと考えています。私達は日常の中において平和を感じる機会はそれほど多くないので、自分から平和を感じる機会を見つけることが必要です。
幸い和歌山県には聖地高野山があり、主催者と入魂にしてもらっていることから出席する機会に恵まれていますが、有り難いことだと感謝しています。また5月には「和歌山県戦没者追悼式」と護国神社での「春季例大祭」に出席を予定していることから、年に数回、英霊に接する機会があります。平和への祈りを捧げる、平和を考える機会になっています。
今回も主催者挨拶の中で「私達は日本の平和、世界の平和を考えているのに、世界では戦争や紛争は、今も尚続いています。争いを解決する手段としての戦争は、平和を願う私達にとって断じて許せない行為であり、憎しみから平和は生まれないのです。
憎しみを許すことで平和は訪れます。先の大戦で命を落としたご遺族の方々は、悲しみに打ちひしがれていましたが、憎しみを捨てて平和への祈りへと感情を変えていきました。それが命を賭してこの国を護ってくれた英霊とご遺族のお陰で、わが国の今日の平和は築かれているのです」という主旨の挨拶がありました。
日本人の赦すという心が、今日まで続く平和を築いてきたのですから、世界にその価値を発信したいと思います。この高野山での追悼年次法要がそのひとつの発信につながっているなら幸いなことです。
この法要の場所には追悼碑があり、先の大戦で命を落とした英霊の名前が刻まれています。ご遺族の方々はもちろん、関係する私達も時々この地を訪れ、感謝の気持ちを届けると共に、平和への祈りを捧げています。平和とは継続して祈ることと、そのための行為を示すことで築かれていくと思います。平和を維持するための行為とは、行進やイベントなどでアピールすることではなく、英霊に感謝の気持ちを示すための法要に参加することや、追悼碑を訪れることにあると思います。社会にアピールすることも大事ですが、真に大事なことは英霊に感謝すると共に敬う気持ちを示すための行為をすることです。
この追悼年次法要は1時間を超える式典です。日常生活において一人で1時間も祈りを捧げることは難しいことなので、場所を高野山と決め、毎年、同じ日にここに集うことで特別な祈りを捧げる日になっています。今年も金剛峯寺の大僧正が素晴らしい読経を唱えてくれたので、この思いは聖地高野山と私達の心に響きました。
先の大戦を経験した人は少なくなっています。平和を護るために、今、私達ができる行動は、先の大戦の経験者から話を聴くこと、聴いた話を腑に落とし、それを自分の言葉として誰かに伝えることです。
夏日の暑さを忘れてしまうような静けさの漂う高野山奥の院でのこの年次法要は、平和を考えさせてくれる大切な時間となっています。1時間以上もご遺族の方々と高野山の僧侶の読経に浸り平和を考える時間を持つことは中々できない貴重な時間です。
令和6年4月29日。今年も高野山にて平和への祈りを捧げ、平和を考える時を刻むことが出来ました。主催者の皆さんに心から感謝しています。