みちる保育園の卒園式の案内をいただいたので出席してきました。毎年、出席させてもらっている卒園式ですが、今回も児童と先生の絆を感じて感動しました。児童が「将来なりたいこと」の言葉と保育園の思い出を話した場面でも感動しましたが、最後のお別れの歌は感動でした。児童が歌い始めるのですが、途中から保護者と先生が歌で参加していきます。児童と保護者、先生が一緒に歌い卒園生のお祝いをする構成の歌詞になっています。
在園中の先生と児童との絆がとても深いことを感じられる場面でした。寂しさを隠して卒園をお祝いして小学校に送り出す先生の心情が伝わって来て、ハンカチで涙を拭う大人が何人もいました。
生徒が歌ってくれた歌詞の中に「いつもありがとう」の言葉がありましたが、これは児童の言葉だけではなく大人も周囲の人に感じておくべき言葉です。社会人になると、いつしか大人は感謝の気持ちを忘れてしまい、全てが当たり前のことだと勘違いしています。当たり前のことはなく、誰かが誰かを支えてくれているのが社会です。知らないところで社会を支えてくれている、私を支えてくれる人がいるから当たり前のように感じる日常を過ごすことができているのです。
誰かが欠けてしまうと今の日常と違った日が訪れるのです。例えば会議で発表する人が病欠すれば、会議は進まなくなります。これは参加者が見えている場合ですが、見えていない場面が潤滑に進んでいるのは誰かがその役割を担ってくれているからです。
児童の言葉から人間社会で最も大事なことを感じることが出来ました。
「今日もありがとう」そして「いつもありがとう」と素直に言える人でありたいものです。
そして卒園生の保護者を代表した方のお礼の言葉も感動しました。子の保護者もみちる保育園の卒園生であり、子どもも全員同園を卒園しているのです。一番上の子どもから4人目の子どもまで全員が卒園し、本日、6人目の子どもがみちる保育園を卒園したのです。保護者と子どもの6人がみちる保育園を卒園しているのです。
お礼の言葉として「一番上の子どもから今日まで22年間、本当にお世話になりました。長年にわたって変わることなく子ども達を見守ってくれた先生方に感謝しています」の言葉を伝えてくれました。お礼の言葉は原稿がありましたが、この言葉は「私事ですが」と言って顔を上げて話してくれたのです。
もちろん言葉は涙と一緒だったので、みちる保育園の凄さと保護者が伝えた感謝の気持ちに感動しました。
卒園生の皆さん、おめでとうございます。保護者の皆さん、おめでとうございます。心からお祝いしています。
急遽、入院した方のお見舞いに行ってきました。元気だと思っていたので突然の入院に驚きました。病室に入るとベッドに横たわったままでしたが、普段と変わらず嬉しくなるような話をしてくれました。
「片桐さん、お忙しいのに来てくれたのですか。ありがとうございます。この間、テレビで建設委員会の様子を観ましたよ。片桐さんは背が高いし恰好がいいですし、きっちりと座っているので直ぐに分かります。もちろん次も応援するので、もっともっと頂を目指してくれるまで元気でいたいと思います。片桐さんのその姿を見たいので、早く治さなければと思っています。目標があると頑張れます」と話してくれました。
ベッドで話してくれたこの言葉と姿に感謝するばかりです。こんな嬉しい言葉を伝えてもらえるなんて、とても幸せなことです。応援してくれる人がいる。応援以上に励ましてくれる人がいることは、これほどまでに有り難いことだと思いました。自分のことよりも人のことを大切に思ってくれている。そう感じて感謝の気持ちでいっぱいになりました。
今年も和歌山市で桜が咲くのはもうすぐです。毎年、訪れる桜の季節ですが、今年も桜は人を想う人の心のようにきれいだと思います。
桜の満開まであと少し。今年の桜の花を一緒に眺めたいと思います。
- 春のフェスタへの出店の打ち合わせを行いました。和歌山市にも桜の開花が迫ってきて春の訪れと共にイベントが予定されています。まちに賑わいが出てくる季節の到来を楽しみにしています。
- 「龍馬World in和歌山」大会実行委員会に出席したこと。役割分担と計画の進捗状況などを確認しました。