今年も孫市まつりが開催されました。今回は20回年記念のため鷺森別院ではなく和歌山城の西の丸広場を会場として活用し、より一層、雑賀孫市を称えました。
紀州雑賀は戦国時代、雑賀鉄砲隊として恐れられていた武将で、織田信長の紀州攻めにも屈することなく紀州を守ったのです。その後、豊臣秀吉の紀州攻めによって滅ぼされることになりますが、有力大名のいなかった紀州は中世において自治制を敷いていた珍しい地域だったのです。
戦国大名が乱世の世を支配していた他の地域とは異なり、中世から住民自治が根付いていたのが紀州だったのです。そんな雑賀孫市を和歌山市の誇りだと考えて孫市祭りを計画実施しているのが「孫市の会」です。コロナ禍の時は祭りを中止にするなど困難を乗り越えて20回目を迎えました。鷺森別院を出立する時に雄叫びをあげ、南海和歌山市駅から和歌山城までを行進しました。会場の西の丸広場では雑賀鉄砲隊の発砲があり轟音を轟かせたので来場者の歓声が響きました。この時、舞台には「よみがえれ孫市」の歌が流れて会場を盛り上げていきました。
毎年、孫市まつりが行われると春の到来を感じます。お城内には「桜まつり」の提灯も飾りつけを終え、桜の開花と花見客を待っている状態にありました。孫市と信長の野外劇などを始め、戦国時代の絵巻のような光景が城内に広がりました。
来場者の中には「淡路島から来ました」という方もいて、孫市まつりは回を重ねることで県外にも少しずつ知れているように感じました。
雑賀孫市は和歌山県の英雄ですが、織田信長や豊臣秀吉など戦国時代のスーパースターの陰に隠れている存在です。同じように幕末の陸奥宗光伯も坂本龍馬や西郷隆盛などの幕末のスーパースターの陰に隠れている、あるいは独自の活躍をした存在だと思いました。
雑賀孫市に関しては司馬遼太郎が「尻啖え孫市」を書いているのですが、戦国時代においてその極めて珍しい存在として描かれています。和歌山県人は華やかな活躍をするのではなく、派手さはないけれども歴史に欠かせない英雄として登場しているように思います。
現代にも通じるDNAがあるように感じます。決して権力の中心いるわけではありませんが、それは和歌山県人というよりも、「記紀」時代から歴史を刻んできた紀州人の反骨精神の表れかもしれません。神武東征で大和の国に入る歴史の中で、紀州はこの国の成り立ちに欠かせない助演的な役割を果たしています。この「記紀」の歴史には、八咫烏や名草戸畔が登場します。
そして織田信長や豊臣秀吉と対決した雑賀孫市は戦国覇者の強敵として存在感を放っていました。しかし不思議なことに突然として戦国の歴史の舞台から消えていくのです。
また幕末の歴史の中で坂本龍馬亡き後、龍馬の意志を受け継いで新政府で不平等条約を改正したのが陸奥宗光です。何となく紀州人の特長が感じられる歴史や人物像が感じられます。
以上のように、孫市まつりに参加して「紀州人」の特長を感じました。現代社会において、紀州人はどのような役割を果たしているのかを考えさせられました。現代でもスーパースターは登場していませんが、紀州のDNAを受け継いでいることから、陰に隠れて重要な役割を果たしているのかもしれません。
和歌山雅楽会主催の定期演奏会を鑑賞しました。来年で結成してから70年目を迎える歴史ある会です。雅な音色と楽器の説明を聴かせてもらいました。代表からは「来年は70周年を記念して和歌山城大ホールでの演奏会を計画しています。今日から来年に向けて稽古を行います」と聞きました。日々の鍛錬が1000年前から変わっていない楽器が普段は聴くことのない音色を奏でてくれるのだと思います。雅楽の音色は独特で1年に一度の演奏会は時代を遡らせてくれる機会となります。