活動報告・レポート
2024年3月14日(木)
般若心経
建設委員会

県議会の建設委員会が開催されました。当初予算案を始めとする県土整備に係る議案審査と質疑を行いました。僕が質した項目は次の通りです。

  1. 八郎山トンネルの施工不良事案に係る再発防止策や淺川組が受注したトンネル工事13本の調査についての説明を受けたので、対策と調査内容は理解できました。ただ部長説明の中に含まれていなかったのは損害賠償のことです。八郎山トンネルの開通まで2年を要する見込みだと聞きましたが、この供用開始の遅れは県民にとっての利益の逸失に相当すると思いますが、事業者への損害賠償請求は考えているのですか。
  2. 令和6年度当初予算案の資料によると「和歌山環状北道路」と「京奈和関空連絡道路」は調査中になっていますが、果たして調査中とはどのような状態なのでしょうか。内容をお示し下さい。
  3. 能登半島地震の家屋倒壊などの被害の報を受けて、耐震補強への関心が高まっています。
    この補助制度は旧耐震基準の木造住宅などで耐震性を有していない木造住宅などでリフォームや家屋の補強までを考えていない人が、自らの命を守るためにベッドや一つの部屋の耐震性を確保するために補強する費用の補助だと認識しています。
    この令和6年度予算案にある耐震ベッド、耐震シェルターへの補助とはどんなものですか。家庭でも導入可能な補助制度になっているのでしょうか。お聞かせください。
  4. 県道梅原交差点は変則的な交差点のため、朝夕の通勤時間帯などに大渋滞が発生していますし、交通量と変則的な交差点のため交通渋滞と共に危険個所になっています。交差点を改良する方向で計画が進められていると思いますが、交差点改修の見込みはどうなっていますか。

以上の項目について当局と質疑を交わしました。

般若心経
般若心経についての卓話

紀三井寺の前田泰道貫主から「般若心経」についての卓話を聴かせてもらいました。約80分、お釈迦様の生き方と共に分かりやすく解説をしてくれました。

お釈迦様は紀元前5世紀に誕生した方で、35歳の時に悟りを開き、80歳でお亡くなりになるまでの45年間、多くの人々に法を説いてこられた方です。お釈迦様は対機説法であらゆる人々に法を説いたと言われています。

天台宗ホームペ―ジによるとこの対機説法の意味は次の通りです。

「お釈迦さまが説法されるときは機をみて法を説いたといいます。機とは法を説く相手のことです。その人の人格、年齢、教養、性質、まわりの環境、それらをよく知った上で、その人が理解できるように法を説いたのです。だから、心の底に教えがおさまったのでしょう。 一方的な言い方ではなく、まず相手を理解する」ことだそうです。

つまり相手に応じて話す内容を変えることです。年齢や性別、子どもに対して同じ話をしても伝わりません。相手に応じて自分が話し方やテーマを変えて伝えることで、どんな人にでも理解してもらえるということです。この対機説法の問題点は、後世にお釈迦様が話したことが正しく伝わらないことにあります。

この時代、お釈迦様は教えを文字で残さなかったことから、弟子から弟子への口述で後世に伝えられています。そのためお釈迦様が亡くなった後は混乱することになりました。

対機説法のためお釈迦様は人に応じて違うことを話していますし、話したことを記録していないことから、伝わり方や受け止め方が違ったからです。そこで弟子たちが集まり法話集を作成することになりました。これを元にしてお経が完成することになるのです。

仏経典を凝縮したものが「般若心経」ですが、完成したのは西暦に入ってからなので、お釈迦様歿後500年後のことになります。お釈迦様が話したことを凝縮しているため、優しく報を説いたことを難しく表現したものになっています。しかも漢文のため日本語の助詞がないので解釈が難しいのです。

般若心経についての卓話

さて仏教が日本に伝来したのは西暦500年頃とされているので、お釈迦様歿後から1000年後のことになります。1000年もタイムラグがあるため、お釈迦様が伝えたことと違った仏教になっている可能性が多々あります。

どんな教えでも同じことが言えますが、研究が進むに連れて形が変わっていきますし、時代の価値観によって解釈も変化していきます。つまりその時の先端の話に変わり、その時の流行の解釈で伝わるのです。

繰り返しますが、日本に仏教が伝わったのは1000年後ですから、その時代の先端であり流行の教えの仏教として伝わっているのです。

そして日本で仏教を伝えたのはお坊さんではなく聖徳太子であり、現代に至る仏教が広まったのは鎌倉時代でした。鎌倉時代には天才的な僧侶が登場します。法然と親鸞、日蓮に道元など、天才たちによって今の仏教の形が築かれていったのです。

宗派は異なっても仏教は「氣づきによって導かれていく。護られていく」ことが原則です。絶対神を信仰するから護られるのではなくて、経典を学んでいく過程において自身が氣づくことで導かれていくという極めて人間的なものです。

俗に言われる「信じる者は救われる」のではないのです。「氣づく者が救われる」ような感じです。

そして結論です。私達が所有しているものは全て借りものだということです。家や自動車、お金や財産、そして体も命も借り物だということです。宇宙から命も体も借りているので、いつか返す時が訪れます。

そしてこんなことが言われています。「生まれた時の魂は清らかで美しいものですが、生きていると俗社会にまみれていき清らかだった魂は汚れていきます」。

人は生きていると、大人になると魂は汚れていく。果たしてそうでしょうか。

素晴らしい出会いや人に優しくすることに人として生きている価値があります。素晴らしい経験をすることで、生まれた時の魂よりも清らかに美しく磨くことができるのです。魂、私達の命は汚れていくばかりのものではなく、生き方次第で、生まれた時よりもきれいにして返せるものなのです。体と命は借りたものですから、生きている限り魂、つまり命をきれいにするための行動をして、生まれた時よりもきれいな魂、命にして返したいと思います。