県議会一般質問は二日目を迎えました。本日は先輩、同僚議員4人が登壇し、知事と論戦を繰り広げました。その中で、令和6年度当初予算案の質疑のため、政策の見直しのあり方についての質疑がありました。以下は主観が入った記述になりますが、質疑で感じたことを言葉にしてみました。
例えば「令和6年度は新政策を計画するためこれまでの政策の取捨選択をして止める事業もありますが、必要だから事業を行っていたのでは」の問いがありました。
それに対して知事の答弁を、個人的に解釈して記述します。繰り返しになりますが僕の主観であり、以下の記述は本日の知事の答弁そのものではありません。僕の備忘録の位置づけで記載しておきます。
政策には期限を設定する必要があります。これまでの政策にも期限があると思うので、結果として中止する政策もありました。これまでの政策と新規政策の全てができれば良いのですが、予算があるので取捨選択が必要となります。政策の原則は「スクラップ&ビルド」ですから、新政策に振り向けた予算は、これまでの政策を止める、縮小することによって捻出しています。
またトヨタ自動車では「1年前と同じ仕事はしないように」と当時の会長から言われた経験があります。同じ仕事を続けていては新しい事業は出来ないの意味だと思いますが、県政も同じです。
以上のような学びがありました。これまで続けてきたものを中止することは、しがらみなどから簡単なことではありませんが、思い切らなければ時代が求める政策を予算化できませんし実行もできません。知事査定によって不要不急の政策の見直しを図り、新政策に振り向けたことだと思います。
給食の無償化は令和7年度以降も継続することを明言しましたし、子ども食堂を支援する基本となる考え方も示してくれました。今日までの議論で知事の考えが分かってきたことがありますので、僕も質疑を交わすことで理解を深めたいと思います。
支援物資の運搬の役割を担ってくれた谷口さんが、会議の中で被災地の状況報告をしてくれました。報告の概要は次の通りです。
被災地に行くに際して、お正月明けに現地で炊き出しのボランティアに行った人から「金沢西インターチェンジから8時間ぐらいかかるよ」と言われていたので前日の夜に和歌山市を出発しました。平時であれば約2時間で輪島市に着けるようですが、早い時間に出発してくれたのです。
金沢西ICから能登半島に向かうには西山ICで降車するのですが、道路も被災していたため二つ手前の柳田ICで降車したのです。そして輪島市まであと8kmのところにある道の駅赤神で休憩と就寝することになりました。もちろん4トントラックの中で就寝したのです。夜間なので周囲の光景はよくわからなかったのですが、朝起きると道の駅内にはテントが並び、中から自衛隊員が出てきたのです。
この道の駅赤神は自衛隊の支援活動の拠点だったのです。道の駅内にはテントの他にウォッシュトラックも配車されていました。ウォッシュトラックとは、シャワーなどの設備を備えたトラックで、被災した皆さんが利用して喜ばれているトラックです。現在は避難所生活を強いられる男性と女性が、隔日ごとに交代で利用しているそうです。
支援物資受渡場所である門前町健民体育館で私達がトラックに積み込んだ支援物資を引き渡しました。館内は各地から届いた支援物資が置かれていましたが、直ぐに必要な生活必需品を持って行ったので喜んでくれたそうです。
帰路、能登半島の海沿いを走っているといつもの景色と違うことに氣づきました。砂浜だったところが隆起して岩場になっていたのです。夜間走行の時は分からなかった景色が朝確認できたのです。
谷口さんは「今回の能登半島に支援物資を届ける経験を与えてくれたコンパッションユーさんと片桐さんに感謝しています。自分だけだったら被災地に行っていなかったと思います。『支援物資を届けるお手伝いをして欲しい』と呼び掛けてくれたので行くことが出来ました。まだまだ復興までには時間がかかると思いますので、この次は現地のボランティアで行けたらと思っています」と報告してくれました。
感動するような現地に行った報告でした。参考までに谷口さんは仕事で支援物資を運搬してくれたのではなく、ボランティアで和歌山市から輪島市の被災地まで運んでくれました。「皆さんの支援物資を届ける自分がお金をもらったらボランティアではなくなります。ボランティアで運びます」と言って、運搬代金を受け取ってくれなかったのです。
そのことを知っているので、今日の報告に感動することになりました。谷口さん、ありがとうございます。
- 議長宛に一般質問の通告を行いました。大きく5項目について質疑を交わす予定にしています。