活動報告・レポート
2024年1月28日(日)
太刀ヶ谷神社
太刀ヶ谷神社
太刀ヶ谷神社

白浜町で新春の集いが開催されたので、道中、太刀ヶ谷神社に参拝してきました。久しぶりの参拝でしたが、これまでと同じように威厳を持つ神聖な空気が漂っていました。

太刀ヶ谷神社は、神武東征で紀伊半島を周って熊野地域に向かう途中、台風に遭遇したので白浜の太刀ヶ谷湾に避難したことが由来になっています。

この物語は次のようなものです。神武天皇一行が白浜の太刀ヶ谷湾に避難したのですが、三日経っても台風は一向に収まりませんでした。苛立った神武天皇は腰の太刀を抜いて「静まれ」と掛け声を発して海に投げ入れたのです。不思議なことに台風の影響で荒れた海は静けさを取り戻しました。神武天皇は滞在中、お世話をしてくれた村人たちにお礼を告げ、船に乗り込みここから南下して熊野を目指したのです。

村人たちは神武天皇が投げた太刀を海から探し当てたので、この太刀を御神体としてお祀りしようと考えたのです。そしてお祀りした神社が太刀ヶ谷神社なのです。それ以降、地元の人によってお祀りされてきましたが、元は神武東征のため送り出したので賑やかなお祭りはせずに、厳かでひっそりとお祀りをしてきたのです。

言い伝えでは、神武天皇は村人たちに次のことを話したそうです。

  1. むやみに神武天皇が立ち寄ったことは話してはいけない。
  2. お祀り事では派手なことはしてはならない。
太刀ヶ谷神社

ですから地元では、代々「決して話してはいけない」と伝えられてきたのです。そのため太刀ヶ谷神社の存在は地元以外では知られることなく歴史を重ねてきたのです。

この太刀ヶ谷神社を護っている立谷誠一さんは「熊野から大和に向かう神武天皇は敵に自分達の情報を知られてはいけなかったのです。私は幼い頃に、神武天皇がこの地に立ち寄った話は人に話さないよう、大人たちに言われていました。その伝統から、年に一度行っている太刀ヶ谷神社のお祀りでは、お神輿や獅子舞など目立つものは一切行っていません」と説明してくれました。

そして平成の時代になって、ようやく太刀ヶ谷神社のことが伝わり始めました。白浜町の無形民俗文化財に指定されて保護されることになったため「もう神社の存在を知らしても良いだろう」と地元の皆さんが判断したからです。

実に神武天皇が太刀ヶ谷湾に立ち寄ってから2600年が経過した後の時代のことです。これだけ長い間、秘匿されてきた太刀ヶ谷神社が存在していることは奇跡であり、僕がこの神社の存在を知った時はタイムマシンで発見したような驚きがありました。

太刀ヶ谷神社

参考までに、この話は「記紀」には記されていませんが、口碑として伝えられてきた記録はあります。和歌山県の懐の深さと情を感じる太刀ヶ谷神社の話です。

但し、これから先が心配です。太刀ヶ谷地区に暮らしている人の数が減り、高齢化が進んでいるので、「若い人がいないので、この先、太刀ヶ谷神社を護ってくれる人がいなくなってしまう恐れがあります」という事態なのです。2600年も続いてきた伝統を絶やすことはできないと、立谷さんは地元の以外の人にもお祀りへの参加を呼び掛けています。

太刀ヶ谷湾に神武天皇が東征の折に立ち寄った話と、太刀ヶ谷神社のお祀りを絶やしてはいけません。引き継ぐために地元の皆さんに対して、白浜町の支援をお願いしたいと思います。

新春のつどい

白浜町で開催された某団体の「新春の集い」に出席しました。コロナ禍のため4年ぶりの開催だそうで、約100人の方が参加していました。話題は能登半島地震の支援から政党政治のあり方、物価高騰下において賃金を上げる必要性などに及びました。たくさんの意見交換をさせていただいたので、次回、県議会で反映させるよう取り組みます。