活動報告・レポート
2024年1月2日(火)
能登半島
能登半島

新年から能登半島地震の被害で大変なことになっています。被災された皆様の安全と無事を願っていますし、お亡くなりになられた方々には心からお悔やみ申し上げます。災害は何時襲ってくるか分かりませんが、穏やかに、そして一年の始まりを希望で迎えるべき元旦ですから、この日の地震による被害は一段と心が痛みます。

元和歌山市消防局の幹部の方は、阪神淡路大震災の時に被災地に向かって陣頭指揮を執った経験がありますが、この方のお孫さんが能登半島の被災地に派遣されて活動することになりました。消防士の使命は命を護ること、助けることですが、それはどの地域で起きた災害に対しても同じことであり、大変な役割を果たしてくれていることに感謝するばかりです。和歌山県も和歌山市からも大勢の職員さんが現地で支援活動を行ってくれていることに心から敬意を表しますし、寒さ厳しい中、くれぐれも健康にご留意されての活動を願っています。

阪神淡路大震災の時、僕も仲間と共に被災地に向かいました。陸路が使えないため南港から神戸港に上陸し、トラックの荷台に乗って救助活動の拠点となった王子公園に降りました。そこで自衛隊が空輸で届けてくれた物資を受け取り、各避難所に届けるための仕分け作業に従事したのです。1月ですからその寒さとヘリコプターの降りる時や飛び立つ時の風の凄さで体が冷え込んだことを覚えています。冷えた体では思ったよりも動けませんでしたが、とにかく次々に搬入される物資を届けるために休憩もなく運び続けたのです。

現場は巨大地震の影響で、埃が空気中に舞っている状況で、顔を保護するためのグラスとマスク、そして耳栓を着用しての作業でした。とにかく埃が舞っているため視界が悪くて、グラスがないと目を開けていられないのです。また鼻にも埃が入り、直ぐに真っ黒になってしまいます。そこに加えて防寒のためコートを着用し、安全作業のためヘルメットも着用するなど普段と異なる格好だったので、とにかく作業は大変でした。

またボランティアなので食べ物や飲み物、寝袋など全てを持参しての作業であり、宿泊場所の近くの小学校の体育館は夜間の冷え方は激しく、電気も水もなく、当然、お湯も出ないので、疲れが回復しない環境でした。寝袋に包まって寝ようとしたのですが、冷えた体なので寝つきが悪く、直ぐに翌朝を迎えることになりました。

翌日も公園で物資の搬入作業でしたが、初日よりも体力的に大変だったことも覚えています。とにかく体が冷えているのに加えて1月の寒さで、被災地での作業が捗らない感じがありました。

有り難かったのは、自衛隊が現地に設置してくれた簡易なシャワー室でした。温水がこんなに有り難いものかと思ったものです。体が温まると、また作業に取りかかろうと頑張る気持ちになってくるのです。自衛隊の方々や後方支援の炊き出しボランティアの方々がいたからこそ、前線の作業が出来たと思います。

それぞれできる役割を果たすことで、被災地の支援活動が捗り、現場が少しでも元気づけられると思います、きっと県外から支援に来てくれることが、地元の方々は勇気づけられると思うのです。

お正月に和歌山県から被災地に向かってくれた皆さんの行動は、やがて能登半島の方々に伝わると思います。本当にありがとうございます。

能登半島も寒さと体が冷えてくるので支援活動や作業は、とにかく大変だと思います。和歌山県を代表して被災地で支援活動を続けてくれていることに感謝するばかりです。お正月休みの方もいるでしょうし、お正月の計画がある人もいるでしょうが、それよりも命を護る使命と、被災地に向かわなければという責任感から来る行動だと思います。

現地での安全作業、そしてご自身の健康に最大限、気をつけて、無事に戻って来てくれることを願っています。被災地に向かわれた皆様の行動と気持ちに敬意を表します。