福山市の鞆の浦には「いろは丸展示館」があります。江戸時代末期、坂本龍馬の海援隊の船であるいろは丸は紀州藩の明光丸と衝突して瀬戸内海沖で沈没しています。その沈没した地点からが近い鞆の浦に「いろは丸展示館」があります。現在もいろは丸は瀬戸内海に沈んでおり、平成2年に文化庁により「水中遺産」に指定されています。
この展示館には、いろは丸の潜水調査の様子をジオラマにしていることや、船内から引き揚げたもの、龍馬のいろは丸事件に係る資料なども展示されています。
このいろは丸と明光丸が瀬戸内海で衝突した後の様子は、次のように紹介されています。
海援隊と紀州藩は鞆の町に上陸し、坂本龍馬は商家の桝屋清右衛門宅に宿泊。紀州藩は、圓福寺に泊まりました。
そして双方の宿泊所のほぼ中間にある商家・魚屋萬藏宅(現 御舟宿いろは)と福禅寺対潮楼で賠償の談判をおこなうことになります。談判は4日間に亘っておこなわれましたが、決着はしませんでした。
決着せぬまま、紀州藩は長崎へ向かって出航。龍馬らは、鞆の浦に停泊していた長州藩の船に乗り、あとを追っていきます。長崎でも談判がおこなわれて決着し、紀州藩から海援隊側に賠償金が支払われることになりました。
ちなみに「いろは丸事件」は日本最初の蒸気船同士の海難事故で、同時に日本最初の万国公法による海難審判事件です。
というものです。
ところでこの展示館は江戸時代に建てられた蔵を利用していて、民間の人たちが建物を借りて運営しています。行政からの補助金はなく入場収入だけで運営しているそうで、運営に携わっている皆さんはボランティアだということです。龍馬のことが大好きな地元の皆さんが運営に携わっていますが、コロナ禍で来館者が減少して以降、まだ回復はしていないそうです。
鞆の浦は「潮待ちの港」と呼ばれていて、美しい港のシンボルである常夜燈の横に「いろは丸展示館」があります。日本遺産に認定されているこの場所の景観は素晴らしく、ここに「いろは丸展示館」があることで、一層、観光誘客の効果があるようです。素晴らしい景観と歴史を紹介する展示館があることで観光地としての魅力とリピーターを呼び込んでいます。景観と歴史は観光にとって大切な要素であり、鞆の浦は観光地としての要素を備えています。
和歌山市の観光地である和歌浦の景観は、鞆の浦と同じように日本遺産で素晴らしいのですが歴史を紹介する展示館がないのが残念に思います。万葉館や玉津島神社、東照宮や天満宮など建築物がありますが、和歌浦の歴史を紹介する展示館がないのです。万葉の時代から景勝地として多くの人を魅了してきた和歌浦を訪れた人たちの物語を伝える展示館が欲しいと思いました。
また加太も観光地であり、美しい夕日の見える場所として素晴らしいところですが、こちらも歴史を訪ねられる展示館がありません。このことは、観光地としての魅力を付加できるチャンスがあるということですから、今後に向けた歴史の色付けを考えてみたいものです。
鞆の浦に戻ります。ここには坂本龍馬が訪れた跡があり、それが歴史ファンを集める観光資源になっています。和歌山市も勝海舟や坂本龍馬の足跡がありますから、物語を発信すること、展示館を設けることで優れた観光資源にできると思います。展示館を見ながらそんなことを思いました。
これまで歴史ファンや龍馬会の皆さんから「一度、鞆の浦を訪ねると良いですよ」と声をかけてもらっていました。訪ねると良いと言ってくれた理由は「鞆の浦の素晴らしい景観と、いろは丸展示館があるから」でした。その通り景観と展示館の両方があるから、集客できる観光地だと感じました。