薬師寺の大谷徹奘師の講話を聞かせてもらいました。今回の講話のテーマは「お釈迦様の遺言に学ぶ」です。お釈迦様は29歳で出家し、35歳で悟りを開き、80歳でお亡くなりになっているそうです。大谷師は「80歳のお釈迦様はどんな景色を見ていたのだろう。きっと35歳で悟りを開いた時の景色とも違った見え方をしていたのに違いない」と思い、その心境を想像することが多いそうです。
「私の師である高田好胤師も、父親も70歳代で亡くなっているので、80歳になって見た仏教の景色は教えてもらっていません。だから80歳のお釈迦様が仏教について、どんな見え方をしていたのか想像しています。お釈迦様は亡くなる直前まで説法を続けていました。だからお釈迦様が臨終に際し説かれた教えの中に、お釈迦様が生涯を通じて感得された教えが凝縮していると考えています」ということです。
今日はお釈迦様の「遺教経」所説の「八大人覚」の中から、最後の戒めの一つ「欲をかくな」です。修業の一歩は「お布施」ですが、これは自分が欲しいものを相手にあげる訓練のことです。お布施とは「あげることですから、自分が5,000円を寄贈しようと思っていたなら10,000円を寄贈すること。3,000円を寄贈と思っていたなら5,000円を寄贈することを意識することが訓練となります。お坊さんに5,000円のお布施を袋に入れようと思っているなら、10,000円をお布施することも訓練となります」という例え話でユーモラスに伝えてくれました。
つまり自分が渡そうとしているものの、少し上を行くことが訓練になるということです。
自分の心に少しの負荷をかけることが訓練ですから、それと同じことなのでやり遂げるのは苦しいのです。
考え方として、お布施をすればプラス1点、欲しいと思うならマイナス1点と考えると良いと話してくれました。お布施をするのと欲しいと思うのとの差は、1点ではなくて2点なのです。自分の心と行為の少しの差によって2点の開きになるので、この積み重ねは年齢と共に大きくなっていきます。得点を得ていくことは徳を積んでいることになっていると思います。
ここでお釈迦様の凄いところはふたつあります。
- 仏様は道を示すだけである。
お釈迦様の教えはあなたに道を示すだけであって、お釈迦様の教えの話を聞いてもかしこくも幸せにもならないのです。聞いたことを実践しなければ何も変わりませんよということです。 - お釈迦様は「この教えは変えてはならない」と言っていません。むしろ後の時代の人は社会の変化に応じて変えていって欲しいと教えにあるのです。同じ価値を持ち続けるのではなく、後の時代の人が価値と行動を変えていくことがお釈迦様の教えなのです。
どちらの教えも凄いと思います。
他にも考えるべきことをたくさん教えていただきました。
- 私達は自分の価値を振り回し過ぎです。自分の価値が正しいと思うのではなくて、相手のことも思いやって話をしなければいけません。自分の価値が絶対だと振りかざしていると、いつか跳ね返ってきます。
- 人には自分の体験したことを伝えること。自分が体験していないことを相手に伝えても響きません。
- 人との出会いは意味があります。意味があるからあなたの前に会うべき人が現れたと思ってください。
- 嫌な人は誰にでもいます。嫌の人は嫌な言葉を発しますが、そこに考えるべき意味があると思うのです。
- しつこく、しつこく勉強していると、またお釈迦様の教えなどの本を読んでいると、読み方が変わってきます。同じことを繰り返し学ぶことで、教えが深くなるということです。
大谷徹奘師ありがとうございます。今月も貴重な教えに感謝しています。