「龍馬World in 四万十」大会の本番に参加しました。和歌山市からは「紀州宗光龍馬会」のメンバー12名が参加して大会運営や段取りを学ぶと共に、来年の和歌山大会参加の呼びかけを行いました。主催者と地元の熱意で創り上げた感動する大会だったと思います。
全てに触れると長くなるので、基調講演で話してくれた「龍馬伝」の脚本家である福田靖さんの話で感じたことを記載します。
坂本龍馬に、脚本家として龍馬や登場人物の台詞に命を吹き込むための福田さんの思いと構想に感銘を受けました。
大河ドラマの脚本の依頼を受けたのが2007年のことで、「龍馬伝」の放送が2010年だったことから、脚本の依頼を受けてから放送までの3年間で、現地調査と資料の読み込み、そしてストーリーの構想などを行ったと話してくれました。大河ドラマは全48話なので、建築に例えるなら、一軒家ではなく街を作り上げるような力が必要となるので、「果たして自分にできるのだろうか」と思ったそうですが、「大河ドラマを断るという選択はない」と承諾をしたのです。
坂本龍馬は「竜馬がゆく」の印象が大きいので、新しい龍馬像を描くことは簡単ではなかったそうです。
NHKが大河ドラマで坂本龍馬を主人公にする条件は「竜馬がゆく」と違ったものにすることだったので、高知県や長崎県など所縁のある場所に入り、関係者から話を聞くことや資料に当たることから始めたのです。
しかし「100人いれば100通り、1,000人いれば1,000通りの龍馬の行動の解釈があるので、坂本龍馬の大河ドラマに向けたイメージを固めることは簡単ではなかったそうです。
例えば、坂本龍馬が薩長同盟を成立させた核心となった理由も分からないので、歴史家などに聞き取りをしたのです。しかし「龍馬に人間的魅力があったからでは」などの回答では脚本に仕上げられないので、何かドラマとして通用する理由が必要だったのです。
このことに関して面白い理由として「江戸時代は藩同士の交流が少なかったので、薩摩藩の人は長州弁が聞き取れなかったのではないか。逆に長州藩の人は薩摩弁が聞き取れなかったのではないか。龍馬は薩摩とも長州とも交流があったので、方言の通訳ができたのではないでしょうか」という説もあったようです。
「これは面白いと思ったけれど、龍馬が通訳できたから薩長同盟が成立したというのでは脚本としては薄い」ので、他の根拠から理由を考えたそうです。
また龍馬が勝海舟を切るため邸宅を訪ねた場面では、勝海舟が残している資料の記述は数行なので、「切りに行った龍馬が何故、勝海舟に師事することになったのかは分かっていない」のです。さらに勝海舟は自分のことを持ち上げて記録しているので、事実かどうか分からないと言われているそうです。
そこで司馬遼太郎は「勝海舟が龍馬に地球儀を見せて、世界の列強が日本に侵攻することを防ぐことが現在の課題なので、人を切るだとか小さな考えて行動していてはダメだ」ということを説得の材料として描いていますが、これは「司馬遼太郎の発想の凄さ」だと伝えてくれました。これ以上の台詞を勝海舟に言わせることは難しいと感じたそうです。
フィクションは読む人にどれだけ感動を与えられるかが大事なことです。歴史書は史実に忠実に基づいて書く必要がありますが、歴史小説では、作家の想像力、センス、感動を与える台詞などを織り込む必要があります。作家は登場人物に台詞を言わせて、読む人に感動を与える必要があるのです。
このように小説にはエンターテインメント性が必要ですが、そのための5つの要素を「龍馬伝」に織り込んでいます。
1.分かりやすいこと。2.テンポが良いこと。3.ユーモアがあること。4.主人公だけを立てないこと。これは主人公だけが正義ではなくて、龍馬の相手も正義があることを訴えることです。5.新しい解釈を取り入れること。
司馬遼太郎の描いた龍馬と異なり、福田さんは坂本龍馬が成長していく過程にエンターテインメント性を持たせて描くことで、「竜馬がゆく」と違う龍馬像を視聴者に伝えようとしたのです。そして感動を与えるための大事な登場人物の台詞は、「自分の人生を重ね合わせて台詞にした」そうです。
結果として「龍馬伝」は視聴率が高くて好評のうちに終わりました。当時の官邸でも「龍馬伝」の時間になるとテレビを見て「龍馬のように日本を変えなければ」と話し合いながら政府の役割を果たそうとしていた話も披露してくれました。
坂本龍馬は没後、100年以上経過しても、私達の生き方に影響を与え続けています。それは後の時代の人たちが、龍馬の小説やドラマから志を受け継いできたからです。
今日、脚本家の講演内容の要旨だけを記しましたが、舞台演出で多くの感動を与えてくれた「龍馬World in 四万十」大会でした。全国の龍馬会の皆さんとの出会いの場にもなり、良い時間を過ごすことができました。