毎月お参りしている大楠を訪ねました。案内板には樹齢450年と記されているので、大楠は1500年代に芽を吹いたと思われます。戦国時代から江戸時代と和歌山市を見続けて現在に至っています。450年も生きている生命力は人間を凌駕するものであり、生命エネルギーをいただけます。これまでも大楠が奇跡を起こしてきた話を聞いていますが、分かり合える人には奇跡をもたらせてくれると思っています。
一緒にお参りした元同僚が「木と木は会話を交わしていると思います。土が伝導体のような役割を果たしていると考えるなら、木のエネルギーは土を通じて別の木に届いているはずです」と話してくれました。
確かに強い生命がある大楠ですから、周囲の木やお参りする人に対してエネルギーを分け与えていると考えても良いのではと思います。戦国時代、江戸時代、そして昭和の大戦での戦火から生き延びてきた大楠の生命力は強力だと思います。人間が敵わない力を持っている神の宿る木ですから、その力にあやかりたいと思います。
今月も力を授けていただきありがとうございます。
市内にある支所を訪ねたところ、元小学校の校長先生が来ていました。支所長と話していたので待っていると「片桐さん、どうぞ」と声をかけてくれたので、声の相手を見たところH先生だったので、「お久しぶりです。お変わりございませんか」と挨拶をしました。そこで少しの時間でしたが話を交わしました。
「片桐さんが私の小学校に来てくれて、6年生の授業を観てくれたことがあります。私も同席したのですが、授業の後に校長室に立ち寄ってくれて感想を話してくれました。その話の内容を担任の先生に伝えたところ、その先生は「私の授業を聴いて感想を伝えてくれて感謝です」と言いながら『授業に自信を持てました。間違っていないんだと。子どもに寄り添うことで理解してくれるので自信をもって授業に挑みます』と話してくれたのです。
その後、その先生の専門科目では、和歌山市で一番の先生になりました。その後、先生の実力が更に伸びてくれたので私も自慢にしたのですよ」と話してくれました。
「授業を観させてもらった後の話から、そんな後日談があったのですか。全く知りませんでした。先生は元気にされていますか」と答えました。
元校長先生は「凄い先生になってくれました。授業もさることながら、子ども達との接し方や励ますことなど自信を持っていましたよ。昨今は教師の仕事も役割も難しい時代になっています。授業のスキルと共に子ども達への接し方がとても大事になっています。先生が自信を持つことはその基礎になるもので、自信を持つためには授業を観てくれた人からの言葉が大事だと思います。これは校長や同僚の先生からのアドバイスも大事なのですが、教育者以外の人からの感想や励ましの言葉は更に大事だと思っています。人は励まされて元気をもらって、授業の進め方を褒めてもらって自信になっていきます。
教師を批判する人や苦情を言う人が多くなっていますから、益々、自信を失っていっています。若い教師が辞めていくのも自信を喪失することにも原因があると思います。励ましてくれる人、元気づけてくれる人がいるから自信を持って頑張れるのです。ナンバーワンの教師になったのは、あの授業がスタート地点になったと思います」と話してくれたのです。
偶然、会ったH先生から、その後にそんな展開があったことを聞かせてもらいました。そして、この話を聞いて心から嬉しくなりました。言葉によって人は成長していくものであり、その後に影響を与えられたことは幸せなことであり、僕にとっても自信にもなります。
今、匿名での批判や中傷が氾濫しています。気持ち悪い言葉の列挙もありますが、読むだけで気持ちが沈む文面や言葉もあります。そんな言葉を突きつけられたら、また、送りつけられたら元気もなくなりますし、やっていく自信も失います。批判や中傷が溢れる社会では人の成長は阻害されます。
国際社会の中で、日本の相対的地位が低下しているのは褒めることや称えることが少なくなっていることも原因の一つだと思います。教育現場やクラブ活動では子どもは褒めて伸ばすことにシフトしているようですが、大人の社会では批判と中傷が渦巻いています。
元校長先生も話を聞いて、社会に活力をもたらせるものは励ましの言葉や思いやりだと実感しました。自信につながる良い話を聞かせてくれたことに感謝しています。