友人が集まり「地方政治と歴史」をテーマに話し合いました。但し、県政と市政の話をしていると、どうしても歴史も必要になってくるので、話している間に歴史の話へと展開していきました。
僕たちの小学生時代は「政治」の授業はなく、中学校になって「公民」の分野で政治の学習をしていました。最近は、政治や金融の授業の時間が設けられていますが、当時、どちらもなかったのです。高校でも深く「政治」に関わった授業はなかったように思います。
中学生からいただいた質問も交えながら政治の話をしたのですが、まず習っていないことが問題で、習っていないこと、つまり関心の領域の外にあることに関心を持てないことが問題点だと感じました。
国の成り立ちや近代の政治については歴史とも関係があると思いますが、「記紀」や近代史を学ぶ授業時間は少ないので、この分野はどうしても関心が薄くなります。「日本史」は学問として体系づけられているので、批判することはしませんが、もっと学校で丁寧に教えるべきだと思います。
一方、中国の場合、「紀元前21世紀」の時代から教えていることを聞きました。現在は21世紀ですから、世紀を挟んで2000年の歴史、つまり4000年の歴史を教えていることになります。体制の違いはありますが、国の歴史認識と誇りを持つことについての教育は参考になります。
紀元前21世紀、つまり4000年前に記録されたものはありませんが、国の起源を定めて当時の支配者の名前も含めて教えているようです。国家というよりも、その大陸、つまり中華として国の成り立ち、変遷の歴史を教えていることは見習うべきところもあります。
当然、4000年前、2000年前の歴史は記録されていないので信ぴょう性に欠けるところがあると思いますが、国の起源がどうだったのかを国民に知らしめることは、自国への誇りを抱かせることになります。自国の成り立ちが分からないだとか、信ぴょう性が乏しいから不明瞭など言っているようでは「では日本の起こりは」「国の起源は」と尋ねられると答えられないことになります。
国民の一人として感じることですが、国の起源を答えられないような国家ではいけないと思います。紀元前のことですから「現代文明のものさしに沿って証明しろ」と言われたとしても「それは正しい」と証明できないかも知れません。しかし「正しくない」ことも証明できないと思います。
ではどうすれば良いのでしょうか。それは「正しいか正しくないか」ではなくて、記録や遠い昔に言い伝えられてきた話を元にして国の正当性を認めることだと思います。
国の成り立ちのストーリーがなければ、国の正当性も世界からの信頼もなくなります。どの国にも起源があり、そこから始まる物語があり、そして歴史として残っているのです。
きちんと教育を受けているから、授業で習った自国の歴史を、大人から聴いた歴史を、誇りをもって語っているのです。
日本人は歴史を知らないと言われていますが、中国の事例を聴いて、わが国の教育にも関係していると思います。
かつてアメリカ研修に行く前に言われたことを思い出しました。
「アメリカ人は自分達の国の歴史を良く知っています。だから日本の歴史は必ず聴かれると思いますから学習しておくように」と。
当時、新日鉄の社員が外国にビジネスに行くときに、最低限知っておくべきこととして書かれた「日本」という本がありました。基礎知識として「日本」を読んだ記憶があります。内容は忘れてしまったので「日本の成り立ち」が書かれていたかどうか分かりませんが、「日本の歴史は話せるように」と言われたことは覚えています。自国の成り立ちと歴史を知り、人に語れることは、国際社会においてそれほど大事なことなのです。
そんなことを話しつつ、政治の背景を思いながら、約2時間の懇談を終えました。