薬師寺の大谷徹奘師の法話を聴かせてもらいました。今回の法話は「法句経」の最終回で、次回から新しい章に入ります。今から約2500年前に生きたお釈迦様の教えを現代に伝えてくれて学びの機会になっています。知ることも学ぶこともできない大切な教えを教授してもらえることは、本当に有り難いことだと感謝しています。
お経に学ぶ生き方は現代人にも通用する教えですが、実践できていないことが心が安らかにならない原因です。お経では「身心安楽」という言葉があります。逆さに読むと「楽身」と「安心」となります。「楽身」とは「楽ちん」のことで身体が楽になることを指します。もうひとつの「安心」は心の安らぎです。「楽身」になる方法は医学が教えてくれるものであり、「安心」になる方法はお坊さんが教えてくれます。
人が安心の状態にならないのは、心は安定しているものではなくて、常に動いているからです。心が安定した状態は死んだ状態とも言えるので、生きている限り心の状態は不安定なのです。不安定な心の状態を少しでも許容範囲内に抑えることが「安心」な状態だと言えます。仏教の教えは、心を安心できる許容範囲内に抑えることがひとつの目的です。
人は心に波風が立つと冷静に判断できなくなるのです。普段の心の状態であれば、簡単に判断できることでも、心に波風が立った状態で判断すると、誤った判断をすることが多いのです。人生をより良く生きるためにも、それは絶対に防がなければなりません。次の言葉は大谷師が師匠である高田好胤師から授かった言葉です。
「人間は追い込まれたときに、その人の本性が出る。だから学んでおく必要があるのです。悪い行いをすれば必ずトラブルに巻き込まれます。良い行いをすればトラブルは少なくなります」。
心を許容範囲内で安定させてトラブルに巻き込まれないようにすることが安心につながります。
さて心を安定な状態にするためにすべきことは「修行」です。「修行」の修とは「治す」ことであり、行とは「歩く」ことです。つまり人生において気づいたことを修正しながら歩くことが修行だということです。言うまでもなく、歩くとは行動すること、前を向いて進むことを指しています。
仏教は、ただ行く道を示すだけですが、行く道を示してくれていることは安心材料となります。どこに向いて歩くと良いのか分からないで歩くのではなく、これから進むべき道に指針があると歩きやすいのです。
だから学びとは心に貯金をすることになります。心に貯金をしておけば、何かの時にそれを引き出せるので役立つのです。心に貯金がなければ、困った時に引き出すものがありませんから、忽ち行き詰ってしまいます。そうならないためにも学びは大切であり、心に貯金をする方が良いのです。
この法話の最後に「五つの悪事」と「五つの善事」を教えてくれました。悪事に向かうことなく、善事を心掛けておくことが大事なことです。
「五つの悪事」
- 持っていてもまだ欲しがる
- 思い通りにならないと腹を立てる
- 楽して得しようとばかり考える
- 自分だけは特別だと思っている
- 相手を信じず、受け入れない
「五つの善事」
- 信念を持って物事に従事する
- 怠け心を起こさずに懸命に勤める
- 自分の行いを常に省みる
- 心に波を立てずに物事に向き合う
- 物事を理論的に考え判断する
「五つの悪事」は簡単ですが「五つの善事」を実践することは難しいことです。常に心掛けたいと思います。