先週、献血の案内をいただいていたので献血をしてきました。献血の記録を確認したところ、今春は献血をしていなかったので半年ぶりとなりました。献血会場で尋ねたところ「今日80人ぐらいの人が献血してくれると思います」と話してくれました。どの地域に行っても50人以上の人が献血に協力してくれるので、和歌山市の皆さんの心の温かさを感じることができます。
待ち時間と献血後は主催団体の皆さんと意見交換を行い「献血と同じように、お互いが協力する関係を築きたいですね」と話し合いました。
語り部の坂本さんに海南市にある鈴木屋敷を案内してもらった時の話です。鈴木姓は海南市が発祥の地であり、徳川家と共にこの地から全国に鈴木さんが出て行ったと言われています。江戸時代に豪商である鈴木さんが海南市藤白に居を構えた理由を聞いて「なるほど」と思いました。
居を構えるためには資金を得る必要があるので仕事が必要です。現代なら工業地帯や情報産業の拠点に人は集まっていますが、産業革命以前は当然ですが工業製品はなく、天然素材を活用して製品を作り出していました。だから人々が必要とする商品の製品化が可能な天然素材のあるところに人は集まったのです。
そう、海南市には当時から棕櫚の木があったのです。棕櫚の木があったことから生活に必要なたわしやほうきを製品化することができたので、ここは江戸時代の人々の生活を支える製品の生産拠点だったのです。そのため鈴木さんが拠点として次第に豪商となっていったようです。
仕事があるところに人が集まり、街と街道ができていきます。仕事とお金が集まりだすと、また人が集まるという循環となり、街は栄えていくのです。しかし歴史は非常で、求められる製品も産業も変化していきますから、時代と共に街は動いていきます。永遠に栄える街はないのは社会が変化していくからです。
海南市では棕櫚から生産されていたたわしやほうきは、今でも生産されている生産拠点として栄えています。しかし棕櫚製品ではなくてたわしやほうきは科学素材を使っているので棕櫚を素材とした製品は少なく、今では高級品として生産されているようです。
利益をもたらすのは日用品から工業製品、そして情報へと移行しているので、それに携わる人も都会に集まっているのが現状です。仕事やお金が集まるところに人が集まる構造は変わっていませんから、かつて鈴木さんが拠点としていた海南市ですが、今では静岡県浜松市に鈴木姓の方が多いと聞きました。
このようにお金を生み出すことに視点をおいて捉えると違った歴史が見えるので、歴史は面白いと思います。人が価値を生み出すのですが、やがて価値あるものが人の動きを支配しているように思います。現代であれば、ブランド品が人の動きを支配しているように思えることもあります。ブランドの時計やバッグなどはお金になりますから、その周囲に人の動きがあります。
人が創り出した価値ですが、多くの人がブランド品としてその価値を認めるようになると、その価値に人が動かされるようになります。本当の価値とは何なのか、産業の移り変わりの歴史から考えさせられます。
さて鈴木屋敷ですが、この主だった鈴木さんは藤白一帯を支配していた豪商だったようで、徳川家とのつながりを持っていたようです。そのため紀州から駿府へ、そして江戸へと移り住み鈴木姓が全国に広がったと聞きました。単に鈴木屋敷を訪れただけでは知ることができなかった、海南市と鈴木姓の歴史を知ることができました。