第二回目となる「うたかたコンサート」を開催しました。会場はデサフィナードのオーナーが快く引き受けてくれたので、ライブステージで歌と語りを楽しむことが出来ました。
語りは和歌山大空襲の体験談を細畑誠一さんの娘さんと、上原ハツさんが担当してくれました。父親である細畑さんの体験したことを娘さんが語ってくれたのは「きみらは戦争は知らなくてよい」「本人が話す力」というものがあることです。
戦争を体験していない世代の人は「悲惨な戦争体験を知らなくていいんだよ」というのは優しさであり、国のリーダーに対して二度と戦争を起こしてはならないことの戒めだと思います。
また本人が話す力とは、体験した人が話す言葉は真実であり、真実を語る言葉に力が宿っているということです。だから本人から体験談を聞くことが大事なことで、強い力だからこそ力を持った言葉として伝えることが出来るのです。
和歌山市の空が真っ赤に燃え上がったことや、アメリカの戦闘機の機体が炎の赤で染まっていたことも話してくれました。そして和歌山城の楠の木の下で3日間も過ごしたことも語ってくれました。父親に「何故、家に帰らなかったの」と質問したところ「家は戦火で焼けてしまってなかったから」という答えだったそうです。あり得ない光景を想像してしまいました。
この和歌山城の楠の木とは、毎月、お参りしている大楠のことだと思います。生命が宿る大楠は戦火の和歌山市民を護ってくれていたのです。
また上原ハツさんは「私は忘れない」と題して和歌山大空襲の体験を語ってくれました。
1948年7月9日、和歌山大空襲の日でした。この日のことは人生で決して忘れたことはなかったそうです。焦土と化した和歌山市のあの夜、真っ赤に黒く夏の夜空を焦がした大火災など、決して消える記憶ではないのです。
聞いているだけでも恐ろしくて、決してこんなことは起きてはならないと思いました。
そしてFプロジェクトのメンバーは、語りに合わせて音で大空襲の凄まじさを表現してくれました。また平和を祈るように平和を感じる楽曲を演奏してくれました。「平和」「愛」そして「この素晴らしい世界」を感じさせてくれました。語る力、音楽の力を感じ、聞いた人の語り継ぐ力も信じさせてくれるものでした。
国を護ってくれている人からこんな言葉がありました。「戦争とは職業軍人が戦うものであって、国民、市民を被害者にしてはならないのです。国民、市民を巻き込む行為は戦争ではありません。だから和歌山大空襲はあってはならない歴史であり、戦争の被害者ではなくて卑劣な行為なのです」と語ってくれました。
国民、市民を戦火に巻き込むような行為は戦争ではない。強い立場の者が弱っている者をいじめる行為は秩序ある世界から認められるものではありません。
大空襲の体験と歌、挨拶を聴かせていただき、そこから語り継ぐべきたくさんの教訓をいただきました。この「うたかたコンサート」が和歌山市の歴史の一頁に刻まれたと信じています。
この項目の最後になりますが、開会に際しての僕の挨拶です。
皆さん、こんにちは。日曜日の午後「うたかたコンサート」にお越しいただきありがとうございます。呼びかけに対してこれだけ多くの皆さんに来ていただいたことに感謝しています。司会の岡本さんから伝えてもらったように、昨年第一回目の「うたかたコンサート」を開催しました。そこで今日も来てくれている岩本さんと永廣さんの和歌山大空襲の体験談を聴くことが出来ました。その後、僕も南樺太で起きた事件「氷雪の門」の話をしたのですが、この時、和歌山大空襲の体験者の話を聴く機会は少ないことに気づきました。
僕も小さい頃に母親から、戦火が拡大していった頃、和歌山市から歩いて貴志川まで疎開した話を何度も聞かされました。小さくて戦争に興味がなかったことや、話を聴く姿勢を持っていなかった間抜けな僕だったので、母親の大空襲の体験を語れることはできません。語れるのは「貴志川から和歌山市方向を見ると空が真っ赤に焼けていた。当時は高い建物がなかったので貴志川からも和歌山市が戦火で真っ赤に燃えていることが分かったのです」という話ぐらいです。母親の体験を語る言葉を持ち合わせていないことは寂しいことであり、残念なことだと思っています。記憶になければ、せめてメモでものこしておけば良かったと思います。
皆さんには、今日の和歌山大空襲の語りを聴いていただき、記憶として、そしてメモに残すことで語れる人になって欲しいと思います。和歌山大空襲を体験した人は少なくなっています。話を聴いた私達は次の世代に語り継いで欲しいと願っています。重ねて言いますが、メモを取って記録して欲しいのです。
最後に伝えます。最近は寺社仏閣を訪ねることが多いのですが、そこで学びをいただいています。お釈迦様は今から2500年前に生きた人です。その教えは経典として残されているので仏教として引き継がれています。しかしお釈迦様の時代は、話した言葉は記録するのではなくて口述で伝えられたそうです。だからお釈迦様が話した言葉が、そのまま経典に記録されているわけではありません。
お釈迦様のお弟子さんが聞いた言葉を覚えて、また自分のお弟子さんに伝える、そのお弟子さんが、またそのお弟子さんに伝えることを繰り返して残っていったのです。お釈迦様の教えを言葉で伝えるために必要なことは、言葉を短くすることです。30分話したことをすべて記憶して人に伝えることは中々できません。だから要約して短くした言葉で記憶するのです。教えを受けたお弟子さんたちは伝えられた短い言葉をもとにして、そこに自分の思いや考え方を付け加えて自分の言葉として語るのです。聞いたお弟子さんは要約して覚えるのですが、自分が成長してお弟子さんに話す時、そこに自分の思いや考えを付け加えて伝えるのです。そうして語り継がれていくのでお釈迦様の体験や教えが語り継がれていったのです。
今日の和歌山大空襲の語りも短い言葉で記憶して欲しいのです。人に語る時は自分の思いを付け加えて語って欲しいのです。体験談を聴いたことでコアな言葉が記憶されます。人に和歌山大空襲の体験を語る時、コアな言葉に自分の思いを付け加えて話をすることが、語り継ぐことだと思います。そんなことも意識して語りを聞いて欲しいと思います。
今回、今日の日を迎えるためにリハーサルを行ってきました。語りと音楽を組み合わせていますし、語りに合わせて選曲も変えてきました。語りと共にFプロジェクトの音楽も楽しんで欲しいと思います。うたかたコンサートの終了予定は午後3時ごろです。最後まで学び、楽しみたいといますので、お付き合いの程、よろしくお願いいたします。
和歌山縣護国神社内で特攻隊ミュージカル「流れる雲よ」の公演がありました。8月15日の終戦日の朝に沖縄に向けて特攻した特攻隊員と整備士の物語です。舞台を演じたのはたった二人ですが、涙が湧き出るほどに感動しました。
中でも主人公が語った「終戦するのに特攻で命を落とすのは無駄ではない。勝つために特攻するのではないのです。この国の誇りと未来を護るために特攻するのですから無駄死にではありません。お前は生きてこの国の未来を作ってくれ」の台詞は感動モノです。
「うたかたコンサート」に続いて戦争の記憶を定着させてくれるミュージカルを鑑賞できたことに感謝しています。しかも演じた舞台は和歌山縣護国神社ですから、記憶に残るものとなりました。
和歌山放送ラジオに出演しました。本日は収録ですが、話した内容は「流れる雲よ」と「うたかたコンサート」そして「宗光と龍馬」と和歌山県での全国大会開催についてです。
この企画を取り上げてくれた中谷先生に感謝しています。