活動報告・レポート
2023年9月6日(水)
1980年代の日米
1980年代の日米

定例会で意見を述べる機会がありました。本来の発表者が欠席となったため急きょ、時間をもらって話をさせてもらいました。

ご縁をいただき和歌山大空襲を体験した上原ハツさんと知り合いました。今月、その体験を語ってもらう企画を進めていますが、ハツさんとの話の中で、アメリカのシカゴで発刊していた日系誌「ミッドアメリカ」の話題になりました。この新聞はハツさんの弟さんが発刊していたもので、この新聞を読むと1980年代のアメリカの空気を感じることができるものでした。

1980年代は日本経済の黄金時代であり「ジャパンアズナンバーワンの日本だから、もはやアメリカ経済に学ぶことはない」という時代でした。当時の大統領選挙は共和党のレーガン大統領でしたが、アメリカは双子の赤字で苦しんでいた時代でした。双子の赤字とは財政赤字と貿易赤字を合わせたもので、流石のアメリカも沈みゆく大国であり、バックスアメリカーナの時代の終焉すら感じられた時代です。

しかし日本が栄華を極めていた1988年、アメリカでは自然の力を活用した新エネルギーの開発が進み、地球温暖化による食糧危機に備えた対策を講じようとしていました。まだインターネットの夜明け前でもあり、日本がバブル経済に浮かれていた時代に、その次の時代をリードするための技術開発を進めていたのです。

レーガン大統領はレーガノミックスの中で「サプライサイドマネジメント」という聞き慣れない経済対策を打ち出しました。経済は有効需要を創り出すことがケインジアンの要諦であり当時の常識でした。経済は有効需要を創り出すことで供給力に近づけることが原則であり、需要がないのに供給力を高めても需給ギャップは埋められないので、経済はよくならないという考え方です。

しかしレーガン大統領は需要喚起ではなく供給力を高めようとしたのです。全く奇妙な経済対策でしたが、結果としてアメリカ経済再生に効果があったのです。その理由は不明なのですが、何故か上手く行ったのです。モノを供給することでそこに需要を近づけるという今でも不思議な経済対策だと思いますが、とにかく復活することになったのです。

またアメリカの日常は豊かな生活を享受しており「日本は世界一の経済大国で豊かになったと言われているけれど、生活の豊かさはアメリカが勝っている」と感じました。そのことは当時の僕の報告書にも書いていますが、アメリカの底力を感じていました。

その後、日本ではバブル経済が崩壊するのですが、1992年から1993年の頃だったと思います。わが国経済が頂点を極めた1988年から、わすが5年後のことになります。

栄華を極めて次の時代をリードするための技術開発や備えをしておかなければ、やがて取って代わられることになる。そんな当たり前のことに気づかなかったのが当時の日本であり、アメリカの力を見誤っていた時代でもありました。

このように頂点にいるときに、次の時代に備えておかなければ繁栄は長く続かないのです。今が良くても、今、次に備えておかなければ「やがて」繁栄の時代は終わるのです。

これがわが国が経済大国の座から滑り落ち、アメリカが復活した時代の空気です。以降、日本は失われた30年へと長期低迷へと向かうことになります。

これが1980年代の日米の経済関係からから学ぶべき教訓だと思います。私達も今、やるべき活動をしなければ、「やがて」私たちの活動は低迷することになります。今やっておけば「やがて」成果を生み出すことになります。この「やがて」という時間軸をしっかりと意識した活動を行いたいものです。

以上「ミッドアメリカ」で思い出した1980年代の日米の話でした。この話が皆さんにとって何かのお役に立つことを願っています。

懇談会

観光事業に関わっている皆さんと懇談の時間をいただきまし。この会は一年に二回、定期開催しているもので約3時間にわたり、意見交換を行いました。和歌山市の場合、人気のあるのが友ヶ島観光と和歌山城観光で、そこに食事とお土産物などの物産が入ります。

また友ヶ島を舞台にした漫画「サマータイムレンダ」が人気を集めて観光振興につながっているように、漫画を活用した観光振興についても話を交わしました。漫画は分かり易くて年齢層に関係なく訴える力がありますから、地元の漫画家が作品を書いてくれることにも期待しています。

次回の本懇談会の開催は今年末を予定しています。

その他

再生可能エネルギーの動向と今冬のエネルギー予測などに関する会議を行いました。エネルギー問題は、現在の生活に直結するものであり、将来の地球環境と生活にも影響を及ぼすものですから、常に状況を把握しておく必要があると考えています。