薬師寺の大谷徹奘師の法話を聞かせてもらいました。今回のテーマは「お経に学ぶ生き方」で、「法句経」を題材として生き方を説いてくれました。心に染み入る法話に聞き入りました。
1.「法」とは「水が去る」ことの教えであり、「経」とは「たていと」と読みます。「たていと」の意味は「迷と悟」「愚と賢」「苦と楽」をつなぐ「たていと」のことです。つまり良いことも悪いこともつながっているのです。
2.お釈迦様は今から2500年前の時代を生きた人で、その教えは書物ではなく口伝でした。ですから言い間違いのないように簡単な言葉で伝えられたようです。お釈迦様に一番近い時期に文字で伝えられたのが、「法句経」なのです。
ただお釈迦様は、生き方を示しただけなので、教えてもらった後は自分で歩かなければならないのです。分かること、理解すること、行動することは全く違うものなので、行動しなければ学ぶだけでは意味がないのです。
ところで「法句経」は誰でも読むことはできますが、理解するのは難しい経典です。だから伝える役割をしているのが私「大谷徹奘師」なのです。
3.「身口意」が大事だと言われていますが、一番大事なのは「意」なんです。「意」が土台にあって、そのうえに「身」と「口」があるのです。「意」とは心であり、「身」は行動、「口」は言葉なので、心で思ったことが言葉になり、心が命じたことが行動になるのです。決して同列ではなく心が先に来ます。
4.「心如工画師」という言葉があります。これは「心は巧みが描いた絵画のようだ」ということです。つまり自分の心が物事をどう描いていくのかが、大事なことなのです。
5.種を蒔いたからと言って直ぐに花は咲きません。種を蒔いたら「やがて」花が咲くのです。この「やがて」という時間軸がとても大事なのです。何かをしようと思って行動しても、直ぐに効果は表れません。行動した効果は「やがて」現れるのです。
6.私「大谷徹奘師」は皆さんの命を預かって法話をしています。法話の時間は皆さんの命だと思っています。皆さんは他にやりたいことがあるのにも関わらず、私の法話を聴きに来て時間を費やしているのは、皆さんが命を預けてくれていることなんです。だからたった一枚の資料を作るのも「これで良いだろうか」と時間をかけて作成しています。法話の直前まで、どんな話にすれば一番理解してもらえるかなと考えているのです。
7.決して人の言葉に怯えたらダメですよ。どんな人でも「そしり」と「ほまれ」があるのだから。人は人からの批判の言葉に弱いので、絶対に怯えたらダメなんです。
例えば、NHK朝の連続テレビ小説「らんまん」の主人公のモデルとなった植物学者の牧野富太郎博士のことを早速、SNS上で批判している人がいます。批判する人はどれだけ偉いのでしょうか。自分が表に出ないで裏で、或いは匿名で人を攻撃することは卑怯な行為です。人を批判、攻撃するのであれば、名前を名乗って堂々とすればよいのです。こんな尊敬心のなくなった現在の日本人はどうかしています。
きれいな花はきれいな花として見れば良いのです。きれいな花の悪いところを探して「この花はきれいではない」と言ったところで、何か良くなりますか。尊敬心を失くして人や民族は良くならないですよ。成長しないですよ。どんな立派な人でも心配事や不安など言えないことがあるのです。人を批判ばかりしていたら、誰も人前に立てなくなりますよ。そんな社会が良いと思いますか。尊敬心を持たなければ日本は滅びます。
8.確信とは自分を信じることです。人の言葉や批判中傷などに迷わないで自分を信じて行動してください。
9.お釈迦様の風評理解について。お釈迦様は凄いことを言っています。
- 一塊の盤石が風にゆり動かぬように、これと同じく賢い人々は「そしり」と「ほまれ」との間に心を動かされることがない。
→もし自分が社会から貶される言葉と褒められる言葉があったとしても、人が言うようなそんな言葉に動揺することはない。 - 常にただ謗られたり、常にただ褒められるような人は、過去にもなかったし、未来にも又いないであろうし、又現在にもない。
→貶されるだけの人も褒められるだけの人も世の中にはいないのです。過去も現在も、そして未来においても称賛されるだけの人は現れることはないのです。