第一回「関西歌謡祭グランプリ大会」が開催されました。昨年も「関西歌謡祭」が開催されたのですが、その大会は今年の大会に向けてのプレ大会だったため、今回が第一回目となりました。大会参加者は160名を超え、埼玉県や岐阜県などからの参加者もいて大きな成果を残したと思います。これも、この大会開催を目指して2年間準備をしてきた大会関係者の企画と準備の賜物だと思います。
これまでの道のりを知っているだけに「お疲れさまでした」と心からの声を掛けたいと思います。
開会に際して大会会長から参加者に対しての謝辞がありましたが、その中で「この大会が開催できたのは片桐さんのお陰です。2年間ずっと応援とお手伝いをしてくれたので開催にこぎつけることができました。心からお礼と感謝をしています」と話してくれたことに感謝しています。
関係する皆さんは昨日も集まって、入念な準備とリハーサル、そして機材など必要なものを搬入しての会場準備など、大変な毎日を過ごしてきたことを知っています。朝から夜までの大会運営は大変なご苦労だったことを想像できるので、今日、明日はゆっくり大会成功の余韻に浸って欲しいと思います。そして少し英気を養って、第二回目へと続けてくれることを期待しています。
それにしてもこれだけ大勢の参加者に集まってもらっての歌謡祭を成功させた企画と集客力、そして熱意は素晴らしいと思います。和歌山県はカラオケが盛んで、和歌山県の文化とも思っていますが、文化とは地域の活力などに影響を与えるものなので、この大会を契機として更に文化レベルが高まることを願っています。
大会関係者の皆さん、お疲れさまでした。
今月開催予定の「うたかたコンサート」のリハーサルが執り行われました。「うたかた」とは、歌と語りでひとつのテーマを発信するコンサートのことです。
今回のテーマは「平和のバトンを未来に繋ぐ」で、和歌山大空襲の体験者の方の体験談を聴くことにしています。そこにFプロジェクトの演奏を加えて、臨場感を高める工夫をしています。
今年90歳の上原ハツさんは小さい頃に和歌山大空襲を体験しています。これまで地元の中学校の授業でこの体験を語ってきましたが、今回は「和歌山大空襲体験者の話を語り継ぐことが次の世代の責任であり、空襲体験者の声をこの世代で失ってはならない」と考えての企画です。
令和5年7月にこのメンバーが集まり企画と準備を進めてきました。「和歌山大空襲を体験した人の話を今聞いておかなければ、数年後では遅くて取り返しがつかなくなります。体験者の話を聴いておかなければ、私達が次の世代に語り継ぐことはできなくなります」と話し合い、「うたかたコンサート」を企画することになりました。
リハーサルの時に、僕が書いた「ミッドアメリカ」と「上原ハツさん」の記事を紹介しました。上原ハツさんは「今日、シカゴで『ミッドアメリカ』を発刊していた弟の28回目の命日なんです。弟の命日に記事を紹介してくれるなんて、こんな偶然があるのでしょうか。
きっと弟は『ミッドアメリカのことを、故郷和歌山市で話題にしてくれてありがとう』と天国で喜んでいると思います。あれから28年、28回忌の日にこのリハーサルと弟のことを話題にしてくれたことに感謝しています」と話してくれました。
その後、リハーサルでハツさんが語ってくれました。
私は1945年7月9日のことを忘れない、忘れない、忘れない。この夏の夜のことを忘れない。空襲警報が発令されたとき逃げようと人の声が重なった。夜空が真っ赤に焦げた。人が焦げた焦げ臭さ、熱の地表。北島橋を埋め尽くした死体。あの光景は忘れない。あれから半世紀以上の歳月が過ぎていますが、巡りくる夏の日、和歌山市に美しい花が咲いています。この平和がずっと続くことを願っています。
体験した人でなければ表現できない言葉に怯えました。「こんな聞いたことのない言葉で語られる歴史があったんだ」と。
そんな上原ハツさんから声が届きました。
「片桐さんが書いてくれた『ミッドアメリカ』のこと、上原のこと。人生でこんなことが起きるなんて想像もしていませんでした。90歳になって、これまでの人生の全てがプラスになりました。人生にこんな奇跡があるのだろうかと思っています。
私が体験した和歌山大空襲の話を聴いてくれる機会を設けてくれたこと。音楽と一緒に私の話を表現してくれること。そして『ミッドアメリカ』のことを思い出させてくれたこと。その全てが今回の出会いであり、人生の奇跡だと思います」と語ってくれました。
何と素晴らしい言葉なのでしょうか。何と素晴らしい人に囲まれているのでしょうか。ハツさんからの感謝の言葉は、今日受け取った得難い宝物です。ありがとうございます。