本日も和歌山市が大好きな方と和歌山市の現状について話し合いました。
僕が子どもの頃、和歌山市は憧れのまちでした。母親が和歌山市に連れて行ってくれる時は嬉しくてワクワクしていました。昭和30年代、昭和40年代生まれの子どもにとって和歌山市はまちであり、商店街や映画館がある楽しいまちだったのです。その前の時代は和歌浦は関西を代表する観光地であり、県外からのお客さんが浴衣で歩いている話も聞かされていました。
ぶらくり丁と丸正百貨店は和歌山市の象徴であり、和歌浦は関西有数の観光地だったのです。
そんな時代の和歌山市を知っている人や語れる人は少なくなってきました。僕の世代が最後ではないかと思います。僕の世代より下の世代は「小さい時からぶらくり丁は衰退した商店街であり、和歌浦の廃旅館があるだけの古い観光地だった場所」だと思っているのです。
現在、和歌山市の最盛期を知っている世代が定年を迎えた時代となり、子どもの頃、和歌山市が賑わっていた思い出がある大人は少なくなっているのです。
つまり和歌山市が賑わっていた時代、活気があった時代、まちが楽しかった時代を知っている世代が少数派になっている現状を危惧しているのです。このままでは、和歌山市が賑やかだった頃を語れる人がいなくなり「もの心がついた時から和歌山市は活気がなかった」世代が社会の中心になっているのです。
にぎわった時代を知らない世代が中心になってしまうと、「あの頃の和歌山市、ぶらくり丁を取り戻そう」「和歌山市中心市街地を再生しよう」とはならないのです。当たり前のことですが、最盛期を知らないから取り戻しようがないのです。
だから、僕たちの世代が和歌山市を活性化させる企案を考えなければならないと思いますし、行動すべきだと思うのです。時間がありませんから、もう「一緒になって和歌山市の活性化について考えましょう」という時期ではないのです。このことに氣づいている人は少ないのではないでしょうか。今の若い人達にとって、ぶらくり丁は両親に連れてもらった懐かしい場所ではありませんし、観光地としての和歌浦の思い出もないのです。だから若い人達に和歌山市再生を訴えても響かないと思います。
全く、その通りだと思います。賑わった時代を知らない人に向かって「昭和30年代、昭和40年代の和歌山市は凄かった」と言っても理解できませんし「和歌浦は関西の奥座敷で、観光客で溢れ、浴衣姿で歩いている人で賑わっていた」と言っても、想像もできないと思います。
だから賑わっていた時代の和歌山市を知っている世代が和歌山市の良さを伝え、まちの活性化に取り組みが必要なのです。
この和歌山市が大好きな人は
連れだってやるのではなくて、僕は一人でもやっていますよ。まちの活性化をみんなで考えましょう。みんな一緒に再生のために何かやりましょうの時期ではないのです。若い人や起業家を目指す人や、和歌山市に進出を考えてくれている企業のためにオフィスを提供するために、この建物を買ってリニューアルしました。AIの時代に対応できるようなインフラを整えたビルに仕上がっています。
また起業家同士が交流できるオープンスペースも設けていますし、貸しスペースも設けています。
もちろん地域の皆さんや高齢者の方々との交流ができる仕掛けもしているので、和歌山市を過去と違った姿で賑わいが創出できるように取り組んでいます。
新しい和歌山市の賑わいを創り出すため、こんな話を聴かせてくれました。過去の賑わいを取り戻すのではなくて新しい和歌山市の賑わいを創り出す活動を応援しています。