挨拶に訪問したときに会社の社長からの意見です。
和歌山県は追従型、現状維持型、後追い型、目立つのが嫌い型なのかと思っています。これまで和歌山県に対して、専門分野の提言を何度かしているのですが前向きな回答がいただけないことを残念に思っています。
例えば「以前、文化的価値のある品々を県立博物館に寄贈することを申し入れました。和歌山県の文化的価値のある物を寄付するので、博物館で展示して欲しいと条件を付して申し入れをしたのです。
それに対する回答は『寄贈を受けても展示はしません』と言うものでした。展示しないで保管庫に埋没させてしまうようなので、『では寄贈しません』と断りました。不思議なことですが、関心がないか、忘れているのか、それからも県から全く反応はありません。
寄贈の意思はトップまで伝わっている案件なのに、寄贈されないことに関して何の反応もないのは『いらないものだった』なのか『文化に関心がない』からなのか分かりませんが、兎に角、提言や申し入れに対しての反応が乏しいことが残念です。
このことが、和歌山県が他府県と比較して取り上げられる頻度が少ない原因であるようにも思います。『目立つことを嫌う』『できれば注目されたくない』『仕事が増える』などの思いがあるからではないかと思います。
県立博物館を訪ねてくる他府県の人は、『和歌山県は紀州五十五万国の県なので。その時代の歴史に纏わる文化財がたくさんある』と思って訪ねてきます。しかし、専門的観点から言うと、その時代を感じさせてくれるものは少ないと思います。
『和歌山県に来たけれど、歴史的、文化的価値のあるものがなかった』と思われるようなら残念なことです。
兎に角、博物館は価値あるものを展示すべきです。だから数十点以上のものを寄贈しようとしたのですが『展示しない』とはっきりと言われたので寄贈を止めたのです。展示されないなら、自分でさえ鑑賞することができなくなります。それなら寄贈しても全く意味がないと思いました。
和歌山県には素晴らしい価値のある文化財がたくさんあります。価値があるということは、そのものに高い値段がついているということです。別に高いものを買って展示して欲しいと言っているのではありません。お客さんは価値があるものを鑑賞したいと思って来県、来場してくれるのです。お客さんのためにも価値あるものを展示すべきだと思います。
県の専門家は民間の意見や鑑定を評価していないように感じてしまうのです。私は和歌山県民なので、地元なので良いものがあることを伝えたいと思っていますし、県の限られた予算内で展示物を選ぶお手伝いができたら、故郷に貢献できると思っているのです」という意見です。
和歌山県を訪れてくれた皆さんから「和歌山県に来て良かった。県立博物館に行って良かった」と言って欲しいと思います。
- 本日、皆さんから多くの活動に対する激励の言葉をいただきました。励ましの言葉は心を温かくしてくれますし、嫌な噂話は心を凍らせてしまいます。思いやりのある言葉や人に接する姿勢はとても大事なものですが、それを身に着けている日本人は親切で嘘をつかない民族だと思っています。
- 人生は山あり谷ありと言いますが、本当に「そうだなぁ」と実感できる年齢になっています。日の当たらない谷底から頂を目指すには、諦めないで一歩ずつ歩く他ないのです。
頂を目指すなら、一人ではなく複数人で歩くことが望ましいと思います。