人権問題に取り組んでいるXさんが「組織や権力、他人威光を借りて、自分が光っているように見せてはいけません。太陽に反射して光っている月は大きいけれど太陽が昇れば消えてしまいます。蝋燭の火は小さいけれど、自分を燃やして人に光を放っている。小さいけれど自分で火を灯す人が尊い」ことを伝えてくれました。
この原文は「大いなる月よりは光を放つ小さき燈火たれ」で、これは森鴎外の箴言集の「知恵袋」の一節だそうです。
現代にも通用する言葉であり法則です。実に多くの人が巨大な組織に属してその権力を背景に発言しています。権力を背景にした発言が続くこと、やがて「自分が権力だ。何でもできる」と勘違いするようになります。それを他人に強要するようになれば社会の害になります。権力を背景に強要することは小さな人物のすることで、これは邪魔になれども歓迎されるものではありません。権力の大きな光を背後にしている人物よりも、小さくても自分で光ろうとしている人物の方が、他の組織や社会は歓迎しています。
そして小人物の言うことを聞いている時間は勿体ないので、権力の外から自分で「やれることを淡々とやる」ことをしたいと思うのです。
日本には教訓となる名文があり世の中の法則を後世に伝えてくれています。それが平家物語の冒頭の部分です。中学校の時に暗記のテストがあり、全文覚えることが課題になりました。「こんな昔の文を覚えても役立たないのに」と思って覚えたのですが、今になって思うことは「実に役立つ」ということです。令和になっても世の中はその通りだと思うのです。
「祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり。沙羅双樹の花の色、盛者必衰の理をあらはす。おごれる人も久しからず、ただ春の夜の夢のごとし。猛者も遂にはほろびぬ、ひとへに風の前の塵におなじ」。
中学校の時に覚えた歴史からの教訓は、今も胸に刻んでおきたい言葉です。暗記を課題に出してくれたのは島田先生でした。教室でのテストではなく、覚えた生徒から職員室に行って先生の前で冒頭の部分を言う方式で、中学生にとっては珍しい体験で、かなり緊張したことを思い出しました。
2025年に開催予定の大阪・関西万博会場予定地を視察しました。まだ何も建築されていない島ですが、ここにどんな未来が待っているのか、思いを馳せると期待が膨らみます。どんなことでも、最初は何もないところから始まります。会場となる予定の咲洲は、上から見るとそんなに大きな敷地ではないように感じますが、島を歩いた場合は相当広いと感じることと思います。見た目と実際は違いますから、何事も現地、直接、その場所を訪ねなければ分からないことがあります。
万博開幕まであと2年の今日ですが、まだ何も見ることが出来ません。しかし構想はできているはずなので、後は人の力で現実のものにするだけです。まだ到来していない未来を現実のものにするには先を見通す力が必要となります。関係者はどんな未来を描こうとしているのか、見ているだけで期待が高まります。
数年先の未来を話し合うことができた視察の機会をいただいたことに感謝しています。ここに和歌山県も関われることを嬉しく思いますし、和歌山県の未来がどう描かれるのか、これも和歌山県の創造力と叡智、そして実力が試されています。未来は今の延長線上にあることを感じながら意見交換を終えました。