和歌山県に関して興味深い話を、紀州徳川家に係る人からの話として聞かせてもらいました。テーマは「何故、和歌山県人は自分の県に誇りを持っていないのか」です。実に興味のあるテーマです。話してくれたその理由は、次のようなものでした。
明治維新を受けて新政府は各県に知事を配置したのですが、和歌山県の初代知事のやるべき仕事はひとつでした。それは紀州の歴史を消すことです。もっと言えば紀州徳川家の歴史と記憶を消すことにありました。大政奉還をしたことから紀州は明治新政府を争うことなく廃藩置県へと移行することになりました。和歌山藩の誕生ですが、新政府にとって紀州人が紀州藩の歴史に誇りを持っていると、新政府に立てつくことになる可能性もあり面倒なことになります。そこで紀州藩の歴史を消すことで故郷への愛着と誇りを消すことにしたのです。
その結果、現在の和歌山県を観ると見事に愛着と誇りを失くしています。東京に行くと和歌山県人であることを隠すことや、自信を持って和歌山県の良さを訴えることをしないなど、そのことが随所に表れています。
本来、故郷に愛着と誇りを持つことが自信になります。故郷への愛着と誇りを持つためにはその歴史を知る必要があります。しかし和歌山県人は紀州藩の歴史を教えていない。学んでいないのです。
愛国心ならぬ愛県心を持たなければ、故郷に誇りも自信も持つことはありません。改めて愛県心は大事なことだと思います。故郷に誇りを持たなければ、故郷の歴史を語ることもありませんし、偉人がいたことさえ消えてしまうのです。
愛国心を持たせない教育は国を腰抜けにしてしまいますが、愛県心を持たせない教育は県を腰抜けにさせてしまいます。誇り高き紀州五十五万石の紀州藩が明治以降、その地位を低下させてきたのは県民教育にあるのです。
「恥ずかしくて和歌山県出身と言えない」「東京に進学したときは出身地を隠していた」「和歌山県にはよいところがない」などの話を聞くことは珍しくありません。昭和の時代のときほど聞くことはありませんが、今でも聞くことが多いのです。これでは活力も発展もありません。
紀州徳川家の時代、紀州藩には大勢の人材がいたのです。新政府になって、紀州から人材の登用はなく牙をもぎ取り、自信と誇りを持たせないような県民教育を施したことで確実に県勢を落としていきました。紀州人が元来有していた、新進気鋭で叛骨心があるという特長は失われていったのかもしれません。
自信と誇りを失わせるために効果的な手段は、歴史教育をしないことです。新政府から使命を持って送り込まれた知事は、その役割を見事に果たしたのです。
現代の和歌山県は明治以降低迷する傾向に陥り、今も発展と飛躍のきっかけがつかめていないのは、故郷の歴史を教えてこなかった教育に原因があります。
もう故郷の歴史、故郷の偉人の功績を教育に取り入れるべきです。時間がかかると思いますが、今から故郷の歴史と偉人教育を実行すべきです。紀州には全国に誇るべき歴史があります。江戸が登場した歴史はわずか400年ですが、紀州の歴史は「記紀」の時代からです。
「記紀」の時代から数えて2600年を超える歴史を有する紀州が、他の県に劣後するわけはありません。
氣づいた人が行動することで、故郷への自信と誇りを取り戻すことができます。現在、活動中の「陸奥宗光外務大臣の功績を教育に活かす実行委員会」や「紀州 宗光龍馬会」の活動は故郷に自信と誇りを取り戻すことが大きな目的です。これまで伝えられて来なかった明治維新後の紀州の歴史を聞かせてもらって、愛県心を持つことの大切さを感じています。