活動報告・レポート
2023年8月5日(土)
薬師寺を訪れる
紀南支部定時大会
紀南支部定時大会

関電労組紀南支部が発足しました。これまでの田辺、新宮、御坊支部が一緒になり、改め紀南支部としてスタートすることになったのです。この記念すべき発足の定時大会に来賓としてお招きをいただきましたこと感謝いたします。

大会においてお祝いの言葉を伝えさせていただきました。前半部分は省きますが、最後のくだりは次の通りです。

「第一回目となる定時大会に代議員、議長団、そして執行部として出席していることは、後々になって『凄い大会に参加したんだな』と振り返れると思います。積み重ねた歴史を総括して、第一回目のスタートとなる大会を開催することは凄いことです。そこに関われたことは嬉しいことだと思います。第一回大会に出席したことを栄誉に思っていただき、活動方針を十分に議論して立派に樹立させて欲しいと願っています」と伝えました。

紀南支部発足、おめでとうございます。

薬師寺を訪れる

薬師寺を訪れて大谷徹奘師の法話を聴かせていただきました。和歌山市にお越しになられたときに話を聴く機会に恵まれ、とても感銘を受けたので薬師寺を訪れることになりました。気づきと学びの連続となる話を聴かせてもらいました。

薬師寺 大谷徹奘師の法話 薬師寺 薬師寺 薬師寺

1.ずっと以前、80歳ぐらいのおじいさんが抽選会で50円のティッシュが当たったのです。おじいさんはとても嬉しそうにティッシュを眺めて「ありがたいねぇ」と感謝の言葉を発していました。当時、私(大谷徹奘師)は20歳代だったので「ティッシュが当たったことが、何でそんなに嬉しいのだろう。私は5,000円の皮の手帳が当たったのだけれどもちっとも嬉しくないのに」と思いました。
そこでおじいさんに尋ねたのです。「何がそんなに嬉しいのですか」と。
おじいさんは「ティッシュが今、私のところにあるんだから嬉しいのです。これは誰のものでもなくて私のものなんですよ」と答えたのです。
なるほど「自分が得ているものに感謝することが幸せなことなんだ。人が持っているものを羨んでいても幸せになれないよな」と思いました。
つまり、具体的に自分に与えられているものがあることは有り難いことです。私達はたくさんのものを得られているのです。
例えば、今日、この法話に来ている皆さんは幸せなんですよ。来たくても来られない人もいるのですよ。車に乗れない人、時間が取れない人、怪我をしてしまった人、余裕がない人などがいるのです。薬師寺に来られたことが幸せな人だということです。
心の使い方で物事の捉え方が全く違ってくるのですね。人が持っているものを「羨ましい」と思ってはダメですよ。縁あって自分のところに来てくれたものを大事にすることが幸せなんです。

2.これまで過ちを繰り返してきたとしても「知らなかった」のであれば、仕方がないことです。知った日から心構えと行動を改めたら良いのであって、過去が悪いから今からもずっと悪いのではありません。気づいた今から人はやり直せるのです。
人は怠る存在なので、常に学ぼうとする姿勢が大事なことなのです。怠ることを反省し、日々、学ぶ姿勢を持つならば、やがて社会を照らす存在になります。何事も一歩一歩です。1から3にはならないのです。1の次は2なんです。自分の悪いところを一つひとつ変えていければ、やがてフルモデルチェンジすることができるのです。

3.「行」とは人が歩く姿を描いています。右足を支えにして左足を前に出して進んでいる姿、その次は左足を支えにして右足を前に出します。それが「行」なんです。人は誰でも自分が正しいと思って生きていますが、それが過ちなのです。
「修行」という言葉があります。一般的には「修めて進む」ことだと理解していますが、私の解釈は違います。「修」とは「なおす」の意味があります。「行」は「進む」ことなので、「修行」とは「なおしながら進むこと」なんです。間違っていれば正したら良いのです。正しながら一歩ずつ進むことを「修行」と言うのです。だから一生、過ちを正しながら生きることが大事なことです。

4.仏様は私達に教えを与えてくれます。但し、教えてくれるだけです。教えてもらって心構えを変えるのは自分です。心構えを変えても行動しなければ何も変わりません。行動するのも自分なんです。仏様は心構えも行動も支援してくれません。お坊さんの言葉を借りて教えてくれるだけです。教えてもらった後は自分で心と行動を変えなければなりません。

5.日本人は生かされていることを知っている民族です。人は命を与えられて生かされている存在であることを知っているのは日本人だけだと思います。しかし最近はそうではなくなりました。
お正月、お彼岸、お盆。日本人は四季に一度ご先祖様と会う機会を持っています。春夏秋冬の一日をご先祖様と会話をする日があるのです。ところが、その日はお休みの日なので旅行に行くことや娯楽に興じる日に充てている人が多いのです。
ご先祖様への感謝とは「生かされていることへの感謝」なのです。私達は「生かされている存在」であることを忘れないでください。命は限りがあります。私の父親は72歳、師匠は74歳でお亡くなりになりました。私は現在60歳なので「あと12年は生かされる」「あと14年は生かされるであろう」と毎日考えて、命が限りあることを認識しています。大事な一日を懸命に生きたいと思います。