活動報告・レポート
2023年6月30日(金)
歴史ウォーク
歴史ウォーク

「いきいきシニア」主催の歴史ウォークに参加しました。今回は岡公園と和歌山城ウォークで、語り部は坂本さんが担当してくれました。坂本さんの解説は親しみがあり分かり易いので人気があります。雨天でしたが、会員22名が参加して自分たちの市の歴史探訪を行いました。

知らなかったことの解説です。

歴史ウォーク 1.徳川頼宣公が和歌山城を築城したときの予算は、現在の価値に換算すると約400億円だったそうです。和歌山市には堀止という地名がありますが、お城をお堀で囲う計画でしたが、予算がなくなったので、お堀を掘ることを中断したそうです。その場所が現在の和歌山市堀止となっています。
築城のときは大型の公共事業予算を幕府からいただいたのですが、思った以上に和歌山城の規模が大きくなり過ぎたため予算がなくなり、お堀を掘る事業を中断したというのです。
現在の公共工事と同じで、大型の公共事業は中央からの予算がないと完成しないのです。紀州徳川家も同じ予算構造になっていたようです。
2.和歌山城の高さは地上75メートルあり、天守閣から眺めると和歌山市が一望できて絶景でした。地元にいても天守閣に登る機会はほとんどなく、この景色を見るのは久しぶりで新鮮でした。当時は高い建築物がなかったので聳え立った天守閣から眺める光景は、今よりも絶景だったと思います。やはり天守閣は権力の象徴だったと思います。
3.紀州雑賀衆は織田信長の進軍も止めるほど強かったのです。その理由は雑賀衆が鉄砲隊を組織していたからです。紀州に信長軍を止める程の鉄砲があったのは、自前で鉄砲を作る技術があったからです。
最初は種子島からたった一丁だけ鉄砲を買ったのですが、それを分析して自前で作れる技術があったのです。戦国時代の鉄砲は最新兵器なので、たくさん持っている方が戦いが有利だったのです。

さて坂本さんと天守閣を歩いていると「片桐さん、ここに陸奥宗光のパネルがあります。解説してくれませんか」と言うので、パネルの前に立ち、陸奥宗光伯がわが国を近代国家へと導いた功績を説明しました。

歴史ウォーク 歴史ウォーク

参加者の多くは陸奥宗光伯の生涯ややり遂げたことを知らなかったので、「陸奥宗光さんの功績が分かりました。凄いことを成し遂げた人だったのですね」「和歌山県にこんな人がいたのですかね」「興味が出てきました。7月16日の講演会に参加します」などの感想を聞かせてくれました。

丁度、令和6年が「日英通商航海条約」を締結してから130年目を迎えます。当時、世界の覇者だった大英帝国が列強から三等国と評価されていた日本との間で、不平等条約の改正に同意したのです。これは世界を揺るがすような快挙であり、日本が三等国から一等国の仲間入りをした瞬間でした。何しろ覇権国の大英帝国が、アジアの植民地化を進めていた日本と平等条約を締結したのですから。世界のビッグニュースだったと思います。

歴史ウォーク

この条約締結を皮切りに、列強との間で不平等条約の改正が進んでいったのです。陸奥宗光外務大臣が切り拓いた平等条約の締結の扉は、明治政府、そしてわが国を一等国へと導いたのです。

この「日英通商航海条約」締結から130年を記念したイベントが令和6年に和歌山県で開催することが決定していますが、今年はプレイベントとして7月16日に「陸奥宗光と和歌山」を開催します。解説と共に皆さんに案内をしたところ「参加します」という声をいただきました。

参加の理由は「片桐さんの説明が分かり易かったので興味を持ちました。だからまた聞いて見たいと思いました」ということです。

参加者の皆さんに感謝していますし、和歌山城天守閣内で陸奥宗光伯に関する説明の機会を与えてくれた坂本さんに深く感謝しています。

記者発表
記者発表

県政記者クラブで「陸奥宗光と和歌山」および「龍馬と宗光 未来への伝言」イベントに関わる記者発表を行いました。

「紀州 宗光龍馬会」のメンバー4人が県政記者クラブを訪問して記者発表と記者会見をしてきました。和歌山県が不平等条約「日英通商航海条約」改正から130年後の世界の舞台になることは栄誉であり誇りです。この和歌山県にとっての栄誉と県民の誇りであることを知ってもらうために、「陸奥宗光と和歌山」および「龍馬と宗光 未来への伝言」イベントを開催するのです。

江戸時代に締結された不平等条約の改正を目指した維新の志士たちの願いが叶った改正の日を迎えたのが今から129年前の7月16日です。令和6年は条約改正から130年を迎える年であり、その立役者である陸奥宗光外務大臣と「新政府綱領八策」を記した坂本龍馬の思いを和歌山県から発信する年なのです。

記者発表

龍馬会の全国大会であるイベントを、130年目を迎える記念の年に和歌山県で開催できることは奇跡のような出来事ですが、その歴史をつくった偉人の故郷が舞台になることは必然のような気もします。

先の見通せない時代を切り拓くのは先進性のある紀州や土佐だった歴史を鑑みて、現代を切り拓くのも、中央政府から遠く離れている紀州であり土佐でありたいと思うのです。

当時の龍馬と宗光が願ったのは、わが国を一等国に導くこと、そして平和な世界を築くことだったと思うのです。幕府では列強に対抗できないことを分かっていた志士達が、新しい時代を切り拓いたのです。わが国が列強と同等の一等国になり、しかもその立ち位置が未来へと続くようにしくみを創ること。土台を築いた偉人達の思いをこのイベントで感じ取り、「今の時代から未来へ続く平和の歴史は私達が担っている」覚悟を持つためにこのイベントを企画しています。

記者発表

和歌山県人としての気概と誇りを持った記者発表を取材してくれた記者の皆さんからは、予想していた以上にたくさんの質問をいただきました。「記紀」の時代から歴史の舞台であった和歌山県に期待することや、幕末から明治の故郷の偉人達の気概と功績を、メディアも伝えてくれると感じました。

本日、記者発表をしたことで、令和6年のイベント開催に向けて本格的にスタートしました。「陸奥宗光と和歌山」そして「龍馬と宗光 未来への伝言」を和歌山県から発信する2年間になります。