和歌山文化協会茶道部主催のBOND茶会に参加しました。午前10時からのスタートでしたが、開始前からお客さんが並んでくれたので、茶道部一同、やりがいのあるお茶会となりました。私達、茶道部のお茶会は和気あいあいとお茶を楽しんでもらうことを目指しています。
そのため季節や日常の出来事を話しかけることで、緊張から解き放つようにしています。大雨は困りますが、梅雨の風情を楽しむことや長雨に出会う友人達との日常を楽しむことなどの会話に務めました。
茶道部の皆さん、会場を訪れてくれた皆さんとの一期一会に感謝しています。皆さんと一緒に文化の香りを楽しみました。
会議の中で「私の強みは人を知っていることと経験があることです」と話してくれました。何かを進めるために必要なことは人脈と道しるべとなる経験で、これは誰かが取って代わることができないものです。
例えば、どんなに優秀な人でも、その分野の経験がある人には敵わないこともあります。外国との交渉経験、実務経験のない人は、その経験のある人に取って代わることは難しいことです。
会社勤めの経験がない人が、会社組織を理解することは難しいことも同様です。会社勤めの経験があるけれど会社の経営をした経験のない人は、小さな会社であっても経営全般を見ることはできません。
ですから人を味方にすること、経験を生かした分野を活動の場とすることは、この先の道を踏み外さないために必要なことです。
高校時代の同級生と映画の話をしました。不思議なもの、おもしろいもので評価は時代によって変わります。高校生の時に観た映画の数々は、当時の評論家からすると酷評だったように記憶しています。
「ミュージカルの名作を映画にしただけでのもの。しかもアイドルを主役にしただけの映画」「これまでのSFと比べて内容がない」「サメが暴れているだけの映画」「低予算で制作した無名の俳優の映画」「主役がダンスを踊っていない」などの評論がありました。
タイトルは言うまでもなく、順に「グリース」「スターウオーズ」「ジョーズ」「フラッシュダンス」です。当時の若い人に向けた斬新な映画だったのですが、既存の概念に固まっていた評論家からは受け入れられていなかったのです。10歳代だった僕たちは、これらの新しい映画に夢中になりました。
今、インターネットで観ることができるようになっているので、観るときがあります。細かいところは忘れてしまっているので、「こんな場面があったなぁ」だとか「こんな解釈が出来るんだ」と思うと共に、懐かしく感じています。
驚くことに、これらの作品は今では名作として扱われているのです。当時、亜流とされていた映像が、今では古典的な名作として評価されているのです。その時々の評価なんてあてにならないことや、意味がないことを教えてくれる事例です。何故なら、時代を先取りしているなら評価されないのですから。
それはともかく、今観てもおもしろい、そして僕たちにとって懐かしい映画の話で盛り上がりました。映画も音楽もドラマも当時の社会を反映しているので、当時の話をすると時代の空気を思い出すことができます。
まだ出てきました。映画ではジョン・トラボルタがカッコよかった「サタデー・ナイト・フィーバー」と「未知との遭遇」。音楽ではオフコースと大瀧詠一。その時代を包むような空気をつくってきたと思います。
更に遡るとドラマでは「飛び出せ青春」「われら青春」、そして「おれは男だ」。高校生に憧れたドラマだったと話しました。決して時代を一括りにできませんが、一括りにするなら今に続く時代の価値がスタートした1970年代から1980年代初頭だったと思います。
あの頃を旅した時間となりました。同級生に感謝しています。