活動報告・レポート
2023年5月8日(月)
時代の最先端
時代の最先端

大型連休明けの一日、静かにまちは動き始めました。昨日、紹介してもらった医院を訪問しました。この件は昨日、「弟が医師をしているので話をします」と言って紹介してくれたものです。

訪ねてみたところ、とても親切で話が分かり易い先生でした。医師の役割は来院した患者さんに安心を与えることだと思っています。医療を提供する大事な仕事ですが、患者さんがお客さんと考えるとサービス業でもあります。そう思うと親切に接して丁寧に説明することも必要なのかなと思います。

患者さんにとっての安心とは「未知の不安を払拭してくれること」「治してくれること」にあると思います。つまり安心させてくれるだけの材料が欲しいわけで、それに必要なものは医師からの言葉です。医院を訪れる病気の知識がない患者にとって、医師の言葉によって安心できますし、医師の言葉によって不安になります。

患者を安心させてくれる医師が、良いお医者さんだと思うのです。患者の顔を見て話をしてくれる。治療方法を分かり易い言葉で説明してくれる。「心配いらないので安心してください」などの言葉をかけてくれる。これらのことは全て患者さんの安心につながります。

未知のことに不安を感じると病気を長引かせることになりそうですし、医師から聞く「原因は分からないですね」などの不安な言葉は、患者さんの心に影を落とさせます。

病気のことでさえインターネットで調べられる時代ですが、やはり医師から聞く言葉には敵いません。安心感を与えてくれる医師の言葉が最高の処方になると思います。

病気のことなら医師、法律の事なら弁護士、行政の相談なら議員。お困りごとがあると状況に応じて相談先が思い浮かびます。困っている人にとっては医師や弁護士とともに議員も専門家なのです。その中で、行政相談は間口が広いことや過去の案件と同じケースで対応できないことが多く、即座に解決できるとは限らないのです。

つまり同じような相談事例であっても、時代が進むと結果が変わってくるからです。よく聞かれる事例の一つとして、スピード違反や飲酒運転があります。「昔は何とかなった」と言ってくる相談者もいますが、果たして本当に「何とかなった」のか分かりませんし、現代社会では「何ともならない」ことなのです。

このことを以て「昔の議員は偉かった」「昔の議員は凄かった」と言う人がいます。決してそうではないのです。時代が違うと時代における価値が異なります。昔の議員が現代にやってきて、スピード違反や飲酒運転の相談を受けたとしても「何ともらない」のです。

例えば、プロ野球で過去の名選手と現代活躍している選手は比較のしようがないのです。記録はひとつの物差しになりますが、それが選手の評価を決定するものではありません。技術やスピード、選手の起用方法や道具などが異なるからです。現代野球の投手が時速160kmのスピードボールを投げるのは珍しくありませんが、オールドファンの中には「過去の名投手は160kmのボールを投げていた」と言う人がいます。測定していないのでどうだったのかは分かりませんが、過去のトレーニング方法や選手の体力を思うと、現代の選手が最先端だと思うのです。

今から20年前なら時速150kmのストレートを投げる投手は「速かった」と言われていたはずです。当時160kmのストレートを投げる投手はいなかったからです。更に以前なら時速140kmを投げる投手は「速かった」のです。

このように過去と現代の記録を比較しても参考になりませんし、どちらが優れているのか評価できないのです。だから医師も弁護士も、そして議員も同じだと思うのです。

時代、法律、社会の価値が異なるので現役の議員は過去の議員よりも「たいしたことがない」とは評価できないと思います。だから時代の最先端を生きている自覚を持って活動しているのです。