最近の教育は縦の柱が弱くなっています。縦に通る柱、つまり建物でいうところの芯がないので、芯のない人間が増えていると思います。それは教育で縦軸が大事なことを教えていないからだと思います。教えているのは平等、公平といった横軸ばかりです。平等も公平も大事な価値なので私も社会も肯定するのは当然のことです。
しかし横軸ばかりを「大事なことだよ」と教育をして、道徳、年上の人を敬う気持ち、人のためにすることなど、縦軸となるような社会の価値を教えていないのです。社会は縦軸を学んでから横軸があります。一本柱が通らなければ脆弱な社会になります。
柱がないので、問題が起きたときは自力で解決しようとしないで、全ての責任を他に持っていっています。「社会が悪い」「和歌山市が悪い」「あの人が悪い」など、人の責任にすることが多くなっています。
典型的な例が、自宅の前の道路に落ち葉が落ちている場面です。縦軸のある人は、社会に迷惑をかけることを嫌い地域全体のことを考えるので、自分で落ち葉を掃いてきれいにします。
ところが縦軸のない人は市役所に電話をします。「家の前の道路に落ち葉が落ちているので汚い。掃除してくれ」というのです。自分ができることをやらないで、人にやらせようとします。市役所の職員さんが動くことはタダではありません。人が動くということは、全て時間とコストを要しているのです。
市役所の職員さんが道路の掃除をする時間は市民全体に乗っかってくるコストです。もとより掃除を業務委託するとしたら予算出動、つまり税金の支出が伴います。自分でできることをしなければ、その負担は誰かが、或いは社会が持つことになります。家の前の掃除の電話をすることは市のコスト負担増加につながっているのです。
多くの場合、職員さんが動くことはコスト負担増加につながっていることを意識しませんが、実際は時間と予算、関わる人の労力が発生しているのです。私達はこの社会を維持するためのコストを負担し合っているので、誰かが「税負担をしているのだから、やってもらって当たり前」と思うと社会維持に必要ない負担を押し上げます。
「自分でやれることはやる」と思う人が集まる社会になれば、社会全体が良くなっていきます。自力でやれることはやる考え方が縦軸なのです。自分でやらないで人に押し付けると社会は良くなりません。社会は横軸だけで動いていると間違った考え方をしていると、社会は貧しく、そしてそこで暮らす人の心も貧しくなっていきます。
縦軸がしっかりした社会を築くことが前提で、芯をしっかりさせてから横軸をつないでいくことが社会と教育の基本です。
だから故郷の偉人の功績を教育に取り入れることが大事なのです。偉人たちは自分のことを後回しにして社会全体、いや日本全体、もっと言うなら世界全体が良くなることを考えて行動しています。この偉人たちの考え方と行動に駆り立てた精神、そして行動こそが社会を変えることを伝えることが教育なのです。和歌山県で必要なことは偉人の功績を学ぶ教育なのです。縦軸を確立した社会は強い県になりますし、縦軸のない社会は衰退する県となります。わが和歌山県の将来を信じていますから、縦軸を作ることを目指した教育を実践すること、つまり偉人の功績を教育に活かす活動を、より一層続けていきます。
社会には縦軸と横軸の両方が必要ですが、最初にやるべきことは縦軸を確立させることです。間違わないようにしたいものです。