和歌山県で1999年に開催されたジャパンエキスポ「南紀熊野体験博」で一緒に仕事をした嶋田次長に挨拶をする機会がありました。本当に懐かしくて話をしていると時が戻りました。嶋田次長は仕事が厳しい人で、僕は民間から出向していたので優しく接してくれましたが、県庁の職員さんがピリピリしていたことを覚えています。博覧会が成功したのは、リーダーシップと仕事への厳しさ、そして人への優しさがあったからだと思います。
時は流れて嶋田さんは「今では孫の面倒を見ることが日課です」という生活を過ごされています。今では、当時の県の中堅、若手職員さんが部長から班長職になっているのです。
あれから24年の歳月が経過しています。僕は当時37歳だったので、歳月人を待たずの心境になります。
当時の新入職員だった人が「僕も入庁してから23年が経過して、博覧会当時の部長職だった人の年齢になりました。振り返ると大変な仕事だったので、今の僕が博覧会の部長を務められる自信はありません。今の役職に就いて分かるのですが、当時の先輩たちの凄さを感じています」と話してくれています。それほど失敗は許されない責任を担うことは重責であり、大変なことなのです。
博覧会運営が未経験な職員を率いて成功に導いた手腕は改めて「凄い」と思います。
そんな嶋田さんから「令和6年は熊博から25周年を迎えることになります。みんなが集まれる年にしたいと思います」と話してくれました。一所懸命にやり遂げた博覧会ですから思い出はたくさんありますが、実行委員会での人との出会いが今も大切な財産として残っています。
出向したからこそ人脈を築けたと思っていますし、出向していなければ人生は確実に変わっていたと思います。それほど強烈な印象を与えてくれた博覧会でした。
当時は熊野古道の存在は今ほど知られていなく、世界遺産になるなんて思ってもいませんでした。しかし博覧会が成功したことによって評価が高まり、熊野古道は信仰の道として知られることになり、その後世界遺産に登録されたことは周知のことです。その土台を築いた博覧会に実行委員として参画できたことは、24年が経過した今も誇りに思っています。
来年の25周年の年に懐かしい皆さんと会えることを楽しみにしています。当時の若手で現在46歳を超えた中堅職員さんが幹事を務めてくれる予定です。
パンダ作業所で集会を開催してもらいました。ここで働く皆さんと職員さんに集まってもらって演説を行いました。4年前の演説のことを覚えてくれている方もいて、事前打ち合わせでは僕のことを「ロケットの人でしょう」と話してくれたと聞きました。4年前に伝えたロケットの夢が現実になろうとしているのです。
本日は作業所の皆さんに次のことを伝えました。
- 県での障がい者の職員採用について
- 障がい者を県職員で採用した後の問題点について
- 選挙に行く意味について
以上のことを伝え、引き続いて質問をいただきました。
日本は国の借金と少子高齢化によって滅びてしまうと聞きました。事実はどうなのですか。
新型コロナウイルスへの対応は5月6日から不必要になりますか。
2つの質問に対して、極力分かりやすくお答えを伝えました。皆さんからの意見を大事に思っています。
市営の向団地を訪れて「その節はお世話になりました」と伝えました。水管橋崩落事故の当時、飲み水が不足していたことからスーパーでも販売されていませんでした。そんな時、飲料水をお届けする団体と一緒に活動を行い、飲料水が不足している高齢者施設や障がい者施設を訊ねたのです。
集会での説明の後、参加者から質問がありました。
議員に話をしても近くの行政施設には届かないことについて
議員さんはこんなに大勢いらないとおもいます。そのうえ、後は任せたよと言ってもらえる議員を出したいと思います。
以上が質問です。時間の許す限り皆さんとの質疑応答を楽しみました。折角なので、和歌山市に係る要望を聞かせてもらいました。
そして質疑応答を終えた直後、集会の幹事さんから「あの方が片桐さんに直接会いたいと言っていますが、お時間よろしいでしょうか」と伝えられたのです。
内心、少し「怖いな」と思ったのですが、近づいてみるととても良い方でした。そして「片桐さんに会いたいと思っていたのです。水管橋の崩落事故のとき、飲料水が不足して困ったときがありました。あの時、片桐さんだけが支援してくれたことを忘れはしません。飲料水の運搬や貯水槽に水を入れるなど、片桐さんだけが手伝ってくれたのです。こんな人は他にはいませんから、絶対に応援しています」と伝えてくれたのです。
当時、僕は議会報告書を持って断水の現状確認を行っていました。そして向団地の断水は約10日あったので、僕は飲料水や生活用水を運搬したことを思い出しました。あの時、飲料水を届けたこと、飲料水を持って階段を昇ったのです。そのことを覚えてくれていた方が僕にお礼を伝えたいので会いたいと言っていたのです。
演説を終えて質疑の時の発言から「怖い人」と思っていたのですが、近くに行くと「直接会ってお礼を言いたいと思っていました。片桐さんに対する感謝の気持ちを忘れていませんから、あれから足を向けて寝られないし、何でもおっしゃってください」と話してくれたのです。施した恩は忘れてもいいのですが、受けた恩は覚えておく必要があります。
参加してくれたこの方は、僕が皆さんに伝えるべき大事ことをきっちりと覚えてくれ参加してくれたのです。この方と嬉しい話ができました。
宮小学校で地元の方々を対象とした個人演説会を開催しました。お集まりいただいた皆さんに感謝いたします。個人演説会の挨拶の趣旨は次の通りです。
皆さん、こんばんは。雨天の中、金曜日の夜にも関わらず、お集まりいただいたことに感謝いたします。選挙戦は8日目を迎えて大事な局面に入っていますので、本日、こうして話を聞いてくれる機会を持ってくれたことに感謝しています。
今回は政策の話はしないで選挙戦の中で出会った人たちの話をしたいと思います。
今回の選挙戦はとても厳しくて辛いことや苦しいことがたくさんありました。そんな中で今日まで来れたのは応援してくれた皆さん、そして「チーム片桐」のお陰だと感謝しています。誰が欠けてもここまで辿り着くことが出来なかったと思います。心から感謝しています。ありがとうございます。
選挙戦を戦っていると多くの人との出会いがあります。皆さんの意見を聞くことが選挙であり、その声を議会で反映することが県政だと思います。今回の選挙戦の中で皆さんから聞かせてもらった二つの声を紹介します。
昨日、向団地で集会を開催してもらいました。この団地は水管橋が崩落して紀の川の北側が断水したとき。向団地は最後まで断水していたのです。断水のとき給水のお手伝いをしたのですが、団地の方々は大変困っていたのです。5階建ての住宅はエレベータがなく、ボトルの水を持って行くことが大変だったのです。階段を登って運ぶお手伝いをしたことや、ボランティアで集めた飲料水を運搬して皆さんにお配りしたのです。
仮復旧を終えて水道の給水が始まったのですが、それでもこの団地の給水は再開しませんでした。電話をいただいたので現地に駆けつけて貯水槽に耳を押し当てたところ、動力の音がしていないのです。「おかしいな」と思って水道局に「向団地では水道の水が出ていないのですが。貯水槽に水が給水できていないように思います」と連絡したのです。
水道局は「直ぐに現場に行き確認します」と答えてくれました。その結果、水栓を締めていたので貯水槽に水が溜まっていなかったのです。つまりその日に水栓を開放して貯水しても、団地内に給水できるのは翌日からになるのです。そこで早急に飲料水を手配して緊急的に対応しました。ペットボトルを現地に持って行くと、直ぐに皆さんのところに配布することが出来ました。その翌日から水道水が使用できるようになったのです。
幹事の人が気を掛けてくれて、そんな団地の皆さんに集まってもらって集会を開催したのです。
県政報告を行った後、質問や要望を受けたのですが、難しそうな顔をした一人の方が「議員に話をしても私らの意見は聞いてくれないよな。無駄、無駄」「議員には期待していないし言うこともないわ」「小学校の給食を無償化するようだけど、昔はみんな給食費を払っていたので無償化する必要はないと思うわ」など厳しい意見を言ってくるのです。
内心「困ったなぁ」と思ったのですが、自然に受け答えしました。約1時間が経過したので、幹事さんが「それでは片桐さんは次の集会もあるので終わります」と言って集会を終えました。
皆さんを見送っていると幹事さんが近寄ってきて「片桐さん、話があるそうです」と言うのです。「何か言われるな」と思いながら傍に近寄って中腰になり、聞く姿勢を取りました。
そうしたところ「片桐さん、ありがとう。どうしても直接、お礼を言いたかったので集会に参加しました。片桐さん、断水のときに助けてくれたのは片桐さんだけでした。一所懸命に私達のために何度も来てくれたのは片桐さんだけで、誰も来てくれませんでした。本当にありがとうございます。困った時に助けてくれる人がいることに安心しましたし、そんな人が議員でいてくれないと困ります。早くにお礼を言いたかったのですが、今日になりました。ありがとう」と伝えてくれたのです。
これは嬉しかったですね。僕は誰かのためにやったことは、直ぐに忘れてしまうのです。集会で意見を聞いた時は「難しそうな人だな」思ったのですが、給水のお手伝いをした時のお礼の言葉を伝えてくれたのです。選挙で皆さんのところを訪ねると、こんな嬉しい話も聞かせてもらえるのです。こんな声を議会で取り上げることが県政なのです。
もう一つ選挙戦での出来事を紹介します。今日の午前、パンダ作業所で集会を行ったことです。
一週間前にこの作業所の理事長が電話をくれました。「片桐さん、選挙ですね。連絡が遅くなって本当にごめんなさい。あんなにやってくれたのに、お礼もできていなくてごめんなさい」と話してくれたのです。「何のことかな」と思って聞いているとコロナが発生したときにマスクが品切れになり入手できない時期がありました。もし買えるとしても一箱3000円ぐらいしたのです。
作業所では働く人のためにマスクを入手しようとしたのですが、入手することが困難だったのです。そんな中、ボランティアでマスクを集めて運んだことがあったのです。僕はそのことを忘れていました。しかし理事長はしっかりと覚えてくれていたのです。
「その時のご恩はお返しできないのですが、せめて作業所で集会をやらせてください」と話してくれたのです。選挙戦の終盤戦ですからとても有り難いことです。喜んで「集会に行きますから、是非ともお願いします」と答えました。
その集会を今日、実施したのです。これまでやったことを覚えてくれていて、感謝の気持ちを持ち続けてくれている。嬉しいことです。集会に参加してくれた皆さんから意見を聞かせてもらいました。この声を聞くこと、議会で取り上げることが県政なのです。大きな仕事をするだけが議員ではありません。皆さんの声を聞かせてもらって議会で取り上げることが議員の仕事です。選挙戦で聞かせてもらった意見をしっかりと把握して、議会で質疑を交わすことのできる候補者を選んで欲しいと思います。
但し、選挙戦で真の声を聞かせてもらえるのは、それまでつながりを持ち何かやってきた議員でなければ無理なことです。僕はそんな候補者だと思っています。
このように選挙戦を通じて多くの嬉しいことがあります。苦しいけれど嬉しいこともあり、それが県政につながるのです。
しかし厳しい選挙を戦っています。先ほど、応援弁士から話がありましたが、議会で一般質問をすればするほど、そこに時間を割くことになるのです。議会本会議で登壇しない方が日常的に後援会活動をすることができるのです。つまり議員活動と後援会活動は反比例する関係にあるのです。議員としての役割を果たしているけれど、選挙での得票数は少ない結果になっています。
今回はそんなことにしたくありません。選挙戦の後半戦です。お集まりいただいた皆さんからの応援を是非ともお願いしたいのです。皆さん以外に一人、二人で良いです。友人、知人に連絡をしていただき「片桐あきひろをお願いしたい」と伝えてください。皆さんには、そのことをお願いしたいと思います。
本日、雨天の中、お越しいただいたことに深く感謝し、お礼とお願いとさせていただきます。皆さんの期待を片桐あきひろに託していただきますよう、お願いをして個人演説会を終わらせていただきます。ありがとうございます。