淡路島の伊弉諾神宮において「陸奥宗光外務大臣の功績を教育に活かす実行委員会」定例会を開催しました。県外での定例会は初めてのことで、この場所で開催した理由は、令和4年10月11日の中将の命日の日に同神社内に樋口季一郎中将の銅像が建立されたことにあります。
神社内に中将の銅像を建立したことは画期的なことであり、故郷の偉人に最高の栄誉を与えるものだと思います。偉人と祀られるべき中将の銅像が建立されたことは喜ばしいことであり、故郷の偉人を顕彰することについて私達が学び生かすためにこの場所で会議を開いたものです。
結論として「伊弉諾神宮で定例会を開催して本当に良かった」と、参加した全ての会員が思っています。
そして神宮での日本人の持つ価値について解説は素晴らしいものでした。
世の中には作られたものと生まれてきたものがあります。作られたものは修復することや代替品を作ることができますが、生まれてきたものは作り変えることはできません。生まれてきたものは取り換えることができないので素晴らしいのです。
取り換えることができないものとは命であり、それは人間だけに与えられたものではなくて、動物や植物など地球上の全ての生物に与えられたものであり、日本が誕生した神話の思想として、自然界は一体のものだと考えるべきです。
人間も生まれてきたものであり、命を与えられて生かされている存在です。その命を自分だけで使おうとすれば私欲に走ることになります。日本の創造主はそんなことを求めているのではありません。与えられた命の使命とは、自分が最大限に活かすことに加え、命が尽きるときにやり残したことを次の世代でやってもらうことを託されているのです。
命は託され続けるべきものであり、一代で絶やしてはいけないのです。日本には伊弉諾尊と伊弉冉尊が「おのころ島」を創ったと記紀で伝えられています。伊弉諾尊は権力の象徴である斧を持っているのですが、それを武器として使うのではなくて平和で豊かな国造りのために使ったのです。
今から3000年以上前の神話です。建国の精神は3000年後の現代の日本人にも受け継がれていると思います。つまり与えられた命を絶やすことなく、次の世代に使命を託し続けてきた歴史が日本にはあるのです。
私達がすべきことは、今から3000年後の日本人がやるべきことの基礎を創ることにあるのです。自分がいなくなった後も、日本が豊かで栄える国であり続けることを目指した活動をすることが私達に与えられた使命なのです。
斧とは武器のことですが、武器を人のために正しく使うことで平和で豊かになります。しかし武器を武器として使うと争いが起きるのです。日本の神々はそんな国造りを望んではいないのです。
周囲の国が「日本は素晴らしい国だから、日本人が持つ価値を大切にしよう」と思ってもらえることこそ私達がすべきことです。世界から見て、日本がかけがえのない国だと思ってもらえることを目指すべきなのです。
神話の物語は当時の人々の心の中にあるものを記していると思います。日本人の価値を記しているのです。物事が起きた後で否定すること、批判することは容易いことで誰にでもできることです。私達の祖先はそんなことを望んでいるはずはありません。その時に「のちの世の人に届けたい価値がある」と思ったことを伝えてくれているのです。後の世に生きる私達はその価値を認めるべきです。
命を預かって生きていることに感謝できれば、日本人が持ち続けてきた価値を理解できるはずです。伊弉諾神宮を訪れたことは、日本人が持つべき価値を認識してもらうことになります。この地を訪れたことは大切な学びの機会となりました。
そしてこの場所をお借りして「陸奥宗光外務大臣の功績を教育に生かす実行委員会」定例会を開催できたことを誇りに思います。