活動報告・レポート
2022年12月15日(木)
ランニングフォーエバー
県議会閉会
県議会閉会

令和4年12月県議会定例会は全ての議案を可決して閉会しました。本日が仁坂知事の最終の県議会なので挨拶がありました。「16年間も故郷のお役に立てる仕事ができて幸せでした」と感謝の気持ちを伝えてくれました。

そして「16年の県政は知事と県職員、県議会が築いてきた合作です」と、県議会に対しても最大級の謝辞を伝えてくれました。

月並みですが改めて「お疲れ様」「ありがとうございました」と感謝の気持ちを伝えたいと思います。退任後もお元気で、和歌山県の発展に寄与して欲しいと思います。

ランニングフォーエバー
ランニングフォーエバー

森田健作さん主演の映画「ランニングフォーエバー」の上映会を開催しました。会場はデサフィナードをお借りしての上映会は「懐かしい」「わぁ凄い」「当時の和歌山の風景はこんな感じだったんだ」などの話で盛り上がりました。

製作は1992年なので、今から30年前の映画でしたが、この青春映画を存分に楽しむことができました。さすが青春が似合う森田健作さんです。

当時、この映画製作に関わった高垣晴男さんが映画のシーンに解説、ナビゲートしてくれたので二倍楽しむことができました。当時の出来事や撮影時のエピソードなどを、聞いて「お宝を発見した」ような感じになりました。

高垣さんは

映画を撮影し終えた時「30年後にみんなで会いましょう」と約束をしました。もうあの時から30年が経過したので約束通り上映会を行えてよかったです。当時のご縁、絆を継続させることができているのも、苦労してみんなで創り上げたこの映画のお陰です。

と話してくれました。

映画製作の目的は「和歌山県には人、モノ、お金がないと言われていた時代だったので、何もないと言わせないようにしたい」と思ったことがきっかけです。当時の青年たちが集まって製作資金約6000万円を集め「和歌山県を舞台にした青春映画を創ろう」と話し合い、森田健作さんに依頼したそうです。

当時、森田さんは生番組を持っていたので、撮影できるのは土曜日と日曜日だけに限定されたのですが見事に完成させたのです。映画製作には多くの人が関わっていて、その中の一人でも欠けていたら「実現できなかった」という苦労があったと聞きました。

当時から若い人達は「和歌山県を元気にする」と話し合って、それぞれが何かを実現させたいと思っていたのです。その一つがこの映画で、今、観ても「和歌山県の良さが表現されている」と思うほどでした。県内の素晴らしい景観、エキストラなどで分かった人の温かさ、支援の輪など、映画の場面と高垣さんの解説でその良さが伝わってきました。

ただ課題は当時と変わっていないことが分かりました。東京や大阪からの視点では「交通の便が良くない」「移動時間がかかる」「投資が少ない」などでした。課題は課題として残っているので、解決する施策の必要性は今も変わっていないのです。

さて地元が舞台の映画なので、集まった私達は物語に引き込まれていきました。懐かしい光景、見覚えのある場所、県内の観光地などが映し出されているので、30年前の景色を思い出しながら鑑賞しました。

ランニングフォーエバー

映画は高校駅伝のドラマでもあり、その駅伝の最終ランナーのゴールシーンに30年前の僕も登場しているのです。30年前の顔を見ると若くて初々しいのです。そのため出演シーンでは場内に笑いが起こりました。反応をいただくことは有り難いことです。

このシーンに出演したのは、当時、広報誌の取材で紀三井寺競技場を訪れて、撮影の合間の時間をいただきインタビューを行ったのです。その記事は広報誌に掲載することになるのですが、インタビューを終えて撮影に入ったとき「ゴールでテープを持つ役の人がいない」となり、取材を終えた直後の僕と当時の藤田主任に「出演してください」と声がかかり、ジャンパーを用意され急に出演することになったのです。

言われたのは「ゴール直前のランナーが足に痙攣を起こし倒れながらもゴールを目指そうとするシーンです。ゴール役の二人には励ますような温かい目、心で頑張れと思っているような目でランナーを見つめてください」ということです。そんな感覚でランナーを温かく見つめたことの記憶が蘇りました。

30年前の自分の姿を見て懐かしく「若い」と思いました。当時から和歌山県の活性化に関わっていられていることを嬉しく思いますし、当時の僕は将来、議員になると思ってもいませんでした。それ以降も地域活性化に関わっているのだから、人生は分からないものです。

懐かしさ満載の映画「ランニングフォーエバー」を鑑賞できた良い一日となりました。

ランニングフォーエバー ランニングフォーエバー