淡路島の伊弉諾神宮を訪ねました。令和4年10月11日、同神宮の淡路祖霊社大前に樋口季一郎陸軍中将の銅像が建立されました。樋口中将を顕彰する一人として「是非、訪れなければ」と思っていたので本日、訪問することができたことを嬉しく思います。
訪問をしたところ、公務でお忙しい中、祭事から神宮に帰ってくれた白髭禰宜が案内してくれました。心から感謝する次第です。
早速、禰宜から樋口季一郎中将の像を案内してもらいました。像は淡路祖霊社大前に建立されたのですが、それには経緯があったのです。神宮内に軍人の像を建立することを懸念する声があったようです。そのことに不満が出ないように手順を踏んできたようです。
まず淡路祖霊社は靖国神社よりも古い歴史があるので、英霊をお祀りすることに抵抗はありません。ましてやわが国を護った英雄である中将であり、淡路島出身ですからお祀りすることに何の問題もないと考えるのが通常です。しかし全ての人にお祝いしてもらうために建立までに必要な手順を踏んだと言うことです。
ひとつは淡路祖霊社の移転です。明治9年に創祀されているので老朽化が進んでいること、樹齢900年と推定されている楠の木の根が張って淡路祖霊社の下に潜り込んでいたので、「楠の木にストレスがかかっている」と樹医さんからの指摘もあり、「移転することが好ましい」と結論付けました。
そして移転するに際して「故郷の偉人である中将の御霊をお祀りすることは当然のこと」とし、神社庁の了解も得て建立することが認められたのです。そして一般社団法人樋口季一郎中将顕彰会が必要な資金を集めて、ようやく今年10月11日に除幕式を行うことに至ったのです。
その理由の一つに「ロシアによるウクライナ侵攻」もあることを追記しておきます。歴史から考えると、ロシアは領土拡大のためにはどんなことでもする国だと言わざるを得ません。ロシアの侵攻に対して「そんなことはない」と甘い幻想を抱くことは止めた方が良いと思います。
さて、わが国をソ連軍の侵攻から護った英雄の像が故郷に建立されたことを心から嬉しく思いますし、ようやく中将の功績が認められたことの喜びを感じています。いうまでもなく中将は占守島に上陸したソ連軍の侵攻を食い止めて、ソ連の北海道侵攻を防いだのです。もし占守島でわが国がソ連軍と戦わなければ、もしソ連軍が占守島に侵攻することを予想していなければ、北海道侵攻を目指していたスターリンによって占領されていたことは間違いありません。わが国を護ってくれた英雄なのです。「そんなことはない」と言う人がいれば、当時のソ連の侵攻があったことの認識が不足していること。北の脅威に備える必要性が理解できていないと思います。現代のロシアのウクライナ侵攻を見ても分かるように、ロシアが近隣の国を攻めることは想定すべきことです。ロシアの脅威と酷さを最も知っているのは、ロシアとの戦いを経験した日本であるはずです。その歴史を忘れて「北海道は全く大丈夫」と思うのは歴史から学んでいないと思います。
禰宜さんからは「ロシアが侵攻してこないと思っているのは日本人だけではないでしょうか。ロシアと戦った経験のあるわが国がロシアのことを一番知っているはずです。シベリアに何年間も日本人を始めとする各国の人を抑留して働かせるなんて国としてあり得ないことです」と話してくれたように、歴史の教訓から北からの脅威に備えておくことは絶対条件です。
明治新政府が発足した後は、北海道に渡り北の脅威に備えようとした坂本龍馬。不平等条約改正を撤廃した陸奥宗光伯、そして先の大戦でソ連軍の侵攻から北海道を護った樋口季一郎中将。わが国の歴史上、列強から日本を護ってくれたのはこの三人の偉人だと思います。この三人の功績と志を知ることが近代史を学ぶことであり、三人の名前を知って偉人に学ぶことがわが国で必要な教育です。三人がいたことで現代の日本があるのです。もし三人がいなければ、日本の姿は今と違ったものになっていたと思います。
そんな英雄である樋口季一郎中将の銅像が由緒ある伊弉諾神宮に建立されたことは誇らしいことであり、偉人を顕彰する活動に力を与えてくれるものです。
高知市内の中央公園を始め三か所で坂本龍馬生誕祭が開催されました。コロナ禍のため、元の姿で開催されるのは3年振りとのことでした。会場を訪れると、熱気と活力、そして偉人を称える気持ちが伝わってきました。本場高知県のよさこい踊りが生誕祭で繰り広げられましたが、私達は正調よさこいとアレンジしたよさこいの両方を楽しむことができました。土佐の英雄、龍馬の187歳の誕生日をお祝いする市民の皆さんの気持ちが、熱気を通して私達に伝わってきました。
「龍馬がいたから現代日本がある」「高知県の誇りである」そんな気持ちが踊りを通じて伝わってきたのです。よさこいを踊り続けてきた歴史で生まれた貫禄があり、祭りを楽しむのではなく、お祀りとしてお祝いする気持ちが感じられたのです。
さすが龍馬生誕祭であり、これが偉人を敬うということなのです。騒いで楽しむことだけではなく、イベントの趣旨を理解して祭りの対象となる人にお祝いの意を表すことがお祀りなのです。
会場で繰り広げられたよさこい踊りと出演者が発する熱気はまさに龍馬の志を表現したものであり、高知県民の皆さんが龍馬を誇りに思い、日常から大切にしていることが分かるものでした。
高知県民の一人は「龍馬は生きています」と当たり前のように話していましたが、それは「現代の高知県民の心の中に龍馬の志は受け継がれています」という内心があることが分かるものでした。
街中で「土佐には尊王攘夷の考えがあったからね」だとか「高知県民には龍馬の心が生きているから、高知県は将来とも栄える国でいます」と当たり前のように話していました。
和歌山県にはない会話であり、故郷に偉人が存在していることの誇りを感じました。