活動報告・レポート
2022年10月28日(金)
城下町ウォークと和歌山の偉人跡めぐり
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「城下町ウォークと和歌山の偉人跡めぐり」に参加しました。主催は「いきいきシニアわかやま」で、語り部は坂本平さんが行ってくれました。

本日のコースは次の通りです。南海和歌山市駅に集合。有吉佐和子記念館から紀州徳川藩校跡、寄合橋、南方熊楠生誕地、勝海舟寓居地、福豊梅店舗、京橋、地蔵尊参拝、そして和歌山城ホール屋上から和歌山城の案内でした。

城下町を案内してもらいながらしっかりと歩いて巡るのは初めてだったので、歴史の跡の氣づきがありました。寄合町は武家が寄り合って協議をしていた場所だったので、寄合町の名称がつけられたこと。南方熊楠は変わり者であったこと。但し、研究以外に時間を費やすのはもったいないとの考えからの行動を取っていたこと。勝海舟が坂本龍馬と共に紀州に立ち寄った石碑がありますが、実際の宿舎はその場所から西側にあったことなど、城下町の発見がありました。

城下町ウォークと和歌山の偉人跡めぐり 城下町ウォークと和歌山の偉人跡めぐり

また京橋は和歌山城から外堀になる地点で、ここから江戸までの距離を一里ごとに記すために街道沿いに松が植えられています。起点となる地点が「道路元標」で、記念碑が設置されています。

案内してくれた坂本さんはよく歴史を調べていて、ユーモアたっぷりに説明してくれるので、参加した私達は江戸時代の光景を想像しながら歩くことができました。江戸時代の紀州は全国でトップ10に入る大都市で、和歌山城を中心に物流と人々の往来で栄えていたのです。その名残があるのが京橋で、そこを歩くと古くから商売で栄えていた場所であったことが分かります。

堀川にはお米や野菜などを積んだ船が入り、京橋で荷揚げされて売られている光景が浮かんでくるようでした。そこを人々が集まってくる、江戸時代の日常の光景も感じられるような説明をしてくれました。

城下町であることの重みと歴史、そこから紀州の誇りを感じました。お城があるまちの重みと言うものが分かる跡があり、もう少なくなってしまった名残の感じられる地点を残さなければと思いました。都市開発も良いのですが、城下町として歴史の跡を護ることも市として大事なことだと思います。

城下町ウォークと和歌山の偉人跡めぐり 城下町ウォークと和歌山の偉人跡めぐり

南方熊楠が和歌山市で暮らしていた当時、和歌山城の外堀を埋めて歴史の跡を消して商売の地域にする計画があったようです。その時、熊楠は猛反対をしたと説明してくれました。「歴史を消してしまうようではこの町は成り立たない。歴史があるから紀州であり文化の香りが漂う和歌山市でいられる」のです。和歌山城ホールの屋上で説明を聞いていると、そんな思いから反対したのだろうと想像できました。

慣れ親しんだ和歌山市ですが、案内をしてもらって歩くと違った光景に変化します。外国人プロレスラーのディラン・ジェイムスさんや、昨日の令和会でお会いした県外から和歌山県に移住してくれた二人の方が「和歌山県は素晴らしい県です」と話してくれたことの意味が更に理解できるものでした。

城下町ウォークと和歌山の偉人跡めぐり

自然があり歴史がある。そして文化の香りが漂う佇まいがあり、学校や病院、図書館などの都市機能もあるのが和歌山市です。中でも歴史と文化は今から創り出すことはできないもので、神武天皇の時代から紀州徳川時代を経て蓄積された重みは、他の追従を許しません。こんな市が衰退することはあり得ないと考えるのが通常だと思いますから、昭和後半以降の状況は全く不思議です。

坂本平さんの案内で城下町を歩いたことで、学びと氣づき、そして城下町としての歴史の重みを感じることができました。素晴らしい体験を提供してくれた坂本さんに感謝しています。ありがとうございます。