同級生の店に髪の毛のカットに行ってきました。交わした話の中で「インスタに樋口季一郎の本の紹介がありましたが、樋口季一郎のことを伝えてくれることは嬉しいことですね」と話してくれました。
僕は
それは「指揮官の決断」という本ですが、樋口季一郎中将のことを詳しく知る度に、ますます「日本を護ってくれた凄い人だったんだな」と思っています。もし中将がいなければ北海道はソ連に侵略されていたと思いますし、日本は地形的に要衝ですから、今も日本国は南北に分割されていたと思います。まさに日本を救った偉人であり恩人が樋口季一郎氏ですが、その名前は知られていないですし、伝えられてもいません。日本国として残念なことです。
恐らく軍人であることがその名前を消されている原因だと思いますが、命を賭けて国を護ってくれた偉人のことを伝えていない国が問題だと思います。
しかしようやく、先週のことですが、10月11日、生誕地の淡路島に中将の銅像が建立されました。故郷に顕彰の碑が建立されたことは地元がその功績を認め称えていることになりますし、樋口季一郎氏の名前を伝えるための大きな一歩だと思います。北海道には樋口季一郎記念館がありますが、北海道以外でその名前を伝えているものはほとんどないと思います。
現在、樋口季一郎顕彰会が設立されていますし、この銅像も顕彰会が建立したものですから、故郷の偉人のことを知り、語り継ぐことで広がりを見せることの大切さを感じることができます。
同じ観点から、和歌山県の偉人の一人に陸奥宗光伯がいますが、その功績も十分に伝えられていないのです。教科書で習うには時間が不足していますし、明治政府の最重要課題であった列強との間で交わされた不平等条約の撤廃を成し遂げた人物なのに伝えていない教育にも問題があるように思います。まるで日本が欧米と対等な国になったことを不満に思っているかのような扱いすら感じます。
樋口季一郎中将も陸奥宗光伯も、その功績も名前も、その実績と比較して伝えられていないと思います。これから広めていくことが課題だと認識しています。
それにしても樋口季一郎氏の心の温かさが満州に逃げ込みたいと思っている難民であったユダヤ人を救うことになりますし、占守島での戦いに至る経緯につながっていると思います。日本人として誇りに思いたいですね。
と答えました。
そうしたところ浅田次郎氏の「終わらざる夏」を紹介してくれました。「この本は占守島の戦いのことを描いた小説です。樋口季一郎氏の名前は登場しませんが、その戦いのことを描いているので参考になると思います」と浅田次郎氏の著書を教えてくれたのです。
検索してみると文庫本では三巻の大作で、既にドラマ化もされていたことを知りました。
知らないことは「仕方がないこと」ではなく「いけないこと」だと思いました。早速、読んでみたいと思っています。
樋口季一郎中将のことを発信してから、中将に関する情報が集まって来るようになりました。そのことでその功績や人柄を深く知ることができています。情報を発信することは情報が集まってくることを示しています。大事なことは発信することで、もっと多くの事実を運んできてくれます。知識を深めるとは、知ったことを話すことで情報を発信することにあると思います。極めて短期間で樋口季一郎氏の功績や人柄を知る機会が増えていますし、この名前に出会うことが多くなっています。
カットをしながら、現代における日本とロシアとの関係、外交問題などを話し合うことができました。