稚内公園の「氷雪の門」の碑を訪れたことの記事を見た先輩から「片桐さん、稚内公園の氷雪の門の碑を訪ねたのですね。電話交換手の九人の乙女の功績は凄いことですし、彼女達が命を賭して日本を護ってくれたと思っています。そこに樋口季一郎陸軍中将のことも忘れないで欲しいと思います」と話をいただきました。
即座に先輩に樋口季一郎陸軍中将のことを尋ねました。ナチス・ドイツの迫害からユダヤ人を救い、先の大戦でソ連から北海道を護った日本人で、世界に名前が知れている英雄なのですが詳しくは知りませんでした。そんな樋口陸軍中将の南樺太での決断は次のようなものだったようです。
当時の樋口陸軍中将は、北海道と南樺太、そして千島列島の「北の守り」を担当する札幌の第5方面軍司令官でした。ナチス・ドイツからユダヤ人を救った樋口陸軍中将は欧米に人脈を持っていたので、当時のソ連の日本侵攻の情報を得ていました。
ポツダム宣言の受諾を決定し、終戦の詔書が出された後の1945年8月18日に大本営の停戦命令を無視して自衛戦争を指揮したのは「必ずソ連は南樺太を占領した後は北海道に侵攻を行い、続けて東北に侵攻するだろう。この場所を死守しなければこの国は存在しなくなる」と、ただ一人ソ連の思惑を見抜いていたのです。
大本営の停戦命令を無視することはできない立場でしたが、現場にいない上層部の判断よりも、現場にいて指揮を執っている自身が把握しているソ連の情報に基づいて判断したことが正しくて日本を護ることになる。そのためには南樺太を死守するために命を捧げても良い覚悟を決めていたに違いありません。
当時のソ連のスターリン首相は、日本が降伏文書に署名する前にヤルタで密約した樺太と千島列島、さらに北海道まで占領して既成事実にするつもりだったようです。
それはスターリン首相が、8月16日にアメリカのトルーマン大統領に留萌―釧路以北の北海道占領を要求して拒否されたのですが、南樺太の第八十七歩兵軍団に北海道上陸の船舶の準備を指示していたのです。
しかし樋口の指示による抗戦で占守島攻防は続いたためソ連の千島列島占領が遅れ、北海道侵攻には至らなかった。北海道の占領を断念したスターリンは8月28日、北海道上陸予定だった南樺太の部隊を択捉島に向かわせ、国後島、色丹島、歯舞諸島を無血占領したのです。
樋口陸軍中将の決断がなければソ連が北海道に侵攻し、日本が分断国家となっていたかもしれない。
ということです。
与えられた任務の責任を果たすためには、例え大本営からの指示であっても「従うことができない」と決断できたことが凄いことです。組織に所属している人が「本部からの指示に従わない」決断をすることは極めて困難なことです。今も昔も同じだと思いますし、昔の方がさらに困難なことだったと思います。
しかし現場から離れたところにいる本部よりも、最前線でいる責任者が判断する方が正確であることが多いように思います。もちろん現場の状況を把握していること、敵味方双方と第三者からの情報を得ていること、経験を重ね判断能力に優れていることなどの条件がありますが、状況を把握していない本部よりも現場の責任者の決断がその先を決定づけてしまいます。
このときの樋口季一郎陸軍中将の大本営に逆らう決断は日本を救うことになります。この話を聞いて、南樺太の歴史の深さを感じることになりました。先輩には「次回の令和会で樋口季一郎陸軍中将の話を聞かせてください」と依頼しているので、さらに深堀り出来ることを楽しみにしています。