活動報告・レポート
2022年8月13日(土)
画家の熱意
画家の熱意

田村画伯、渡里画伯の画廊を訪問して懇談しました。先月に和歌山市に対して絵画「希望」を寄贈したことのお礼も含めて訪ねたものです。画廊に入ると作品を制作しているところでしたが、訪問を歓迎してくれました。

田村先生からは紀三井寺の境内に設置した灯籠やケーブルカーから見える七福神の作品の説明を聞かせてもらいました。灯籠の炎が揺れて見えるように工夫したことや、灯籠の刻印が桜の樹液で剥がれてしまうことを防止するための工夫など、作品に隠された苦労と工夫を聞かせてもらったので、さらに作品制作の過程にあった物語を感じ取ることができました。一つの作品を創り上げるには技術の他に時間と人との関わりが絶対に必要です。

先生も「一人で制作できる絵画はありません。何人もの方に関わってもらって作品が完成するのです」と話してくれたほどです。技術を持った画家の先生でさえ、作品を一人で完成させられないのです。

先に既述したように、描かれた絵画や図面を基にして石を刻み彫刻作品に仕上げる人、塗料を塗って仕上げてくれる人、炎のゆらぎをリアルに表現してくれる人、制作を依頼した人、資金を提供してくれた人、そして作品を広報して広めてくれる人、営業活動をしてくれる人など、作品には制作過程と完成後に多くの人が関わっているのです。

ここで感じたことは、作品の価値を認めて営業してくれる人がいなければ作品は世に出ないということです。どれだけ優れた作品であっても買ってくれる人がいなければ、価値にならないという現実があります。

これは人間に置き換えても同じことだと思います。優秀な人、技術を持った人、特許を持った人がいても、能力を認めて世に送り出してくれる人、つまりプロデュースや売り出してくれる人の存在が不可欠なのです。人も商品も、その価値を認めて売り出してくれる人がいなければ世に出ることは難しいのが現実社会です。

作品を自分で抱えているだけでは価値になりません。世に出して価値を試してみることが第一歩になりますから、人は「私には能力があるのに世間が認めてくれない」と思うのは間違いです。能力のある人が世間から認められるのではなくて、世間に自分の存在を問いかける勇気の持った人、プロデュースしてくれる存在がいる人が世間から認められることになるのです。

例え優れた作品であっても、どれだけ能力のある人であっても、一人で売り出すことは難しいということです。

だから田村先生も「多くの人に会うこと。自分を知ってもらったうえで支援してもらうことが一番大事だと分かっています」と話してくれているほどです。

そして「自分のことを知ってもらうためには、相手の話も聞いてその人が何をやっている人なのかを知ることも大事です。過日、ジャズ奏者と知り合いました。私も芸術家なので数多くの演奏を聴いているので分かります。彼は素晴らしい演奏をするピアニストでした。今企画しているのは、会場に私の絵画を置いて、その作品のイメージを彼に即興で演奏して表現してもらうことです。絵画と演奏を組み合わせた取り組みは参加者のイマジネーションを高めてくれることになります。理解してもらうこと。これが芸術であり文化だと思います」と熱弁を振るってくれました。

これまでのおつきあいで田村先生の芸術に対する熱意は分かっていますが、作品に込められた情熱をさらに理解することができました。芸術や文化は理解してくれる人がいて初めて価値が認められます。そのためには価値を伝えるための熱意が必要です。その熱意は田村先生から感じ取ることができるのです。

話を聞いて境内に33の灯籠のある紀三井寺を訪ねてみたくなりました。熱意は広がりますから、否定や批判という消火器に負けないようにしたいと思います。