日本史の研究家が事務所を訪ねてくれました。神武東征の歴史を研究している方で、特に阪南市から和歌山市にかけての神武東征の足跡を丁寧に訪ねています。ご縁をいただいてから、これまで何度か資料をいただき説明を聞かせてもらっています。
基本となるのは日本書紀ですが「日本書紀は研究し尽くされているので『新たな事実は出て来ない』という専門家がいます。しかし言葉の解釈や大きく時代背景を考えるなら、違う視点の読み方も可能ですし、視点を変えることで解明につながる可能性があります」と話してくれました。
阪南市から和歌山市にかけての地名には、神武東征の跡と推測できる地名が残されていると説明してくれました。例えば日本書紀が書かれた時代において「雄湊」の「雄」は軍であり「湊」は基地を表す文字だったようです。神武東征で寄港した港は背後からの攻撃を防ぐため、兵と武器を備えた軍港にしていたと考えられるそうです。
阪南市にも和歌山市にも雄湊がありますが、重要な軍港だったと推測できるそうです。阪南市の雄湊の地名近くには「兵庫」という地名もあり、これは兵士がいた場所を示しているそうです。
また和歌山市には毛見という地名がありますが、ここも興味深い地名だそうです。崇神天皇は紀の川市桃山町から妃をもらっていて、天皇の子どもは「毛」の名前を使っていたそうです。「見」は全体を眺めて指示を下す人の意味がある文字なので、「毛見」は崇神天皇の子どもが一時期支配していた「毛の国」であったと推測できるそうです。
このように文字の解釈と時代背景を考えていくと、阪南市や和歌山市は神武東征の重要な地点となる市であり、「行政区画で考えるのではなくて歴史を繋ぐことで史実が見えてくる」ということです。
和歌山市や岩出市には竈山神社、雄水門、山崎神社がありますが、神武天皇に纏わる歴史に彩られた場所ですから、多くの方に現地を訪れて欲しいと思います。
また日本書紀には神武東征の年譜が記されています。東征に向かわれたときから大和平定までの足跡に対して年月日を合わせてみると、その足跡に命が吹き込まれるように感じます。月日を記載することで史実に力が宿るように感じられるので不思議です。
例えば東征元年が247年であり、同年の10月15日が出立の碑になっています。和歌山県に関する記載は251年5月8日、一行は竈山に到着し、この竈山に亡くなった五瀬命を葬ったことが記されています。
このことから竈山神社では、毎年5月8日を五瀬命の命日として「雄誥祭」が執り行われています。僕も毎年、参加しているので命日は知っていますが、日本書紀の記述を説明してくれたことで、歴史がより色鮮やかに感じられるのです。その生きた時代を想像できるような気がしました。
日本書紀に記された時代を生きた人はいませんから、わが国に残された書物だけが歴史の手掛かりになります。そんな書物が残されていることがわが国の歴史にとって素晴らしいことであり、国家としての重みと世界から尊敬される国になっているのです。世界に伝える歴史がある国を誇りに思いますし、私達はその誇りを引き継いでいることを忘れずに子ども達や世界に対して発信したいと思います。
そんな誇れて伝えられる歴史が阪南市や和歌山市、そして和歌山県にあることは誇りであり、まだ研究途中だということですが、研究の過程を説明してもらえることを嬉しく思います。
日本書紀に記された神武東征の解釈について、事務所を訪ねて説明してくれたことは、親切、丁寧な人を「否定しないこと」に起因しています。人を否定する姿勢、聞く姿勢を持っていなければ、大切な時間を割いて専門家は訪ねてくれることはありません。聞く姿勢、受け入れる姿勢、学ぶ姿勢は日本人が持っている性質であり、それがこの国を発展させてきた歴史の一部分だと考えています。
- 感染拡大が続く中、PCR検査についての問い合わせが増えています。感染症が心配な人、周囲の人に迷惑をかけたくない人、職場の安全を守りたい人などからの問い合わせが増加しています。毎日のように対応しているところです。
- イラストレーターの松元伸之介さんや「えんとつ町のプペル」の取り組みについて相談をいただきました。
- 二人の法律家を紹介してもらいました。二人とも謙虚で話しやすく表情が素晴らしい方でした。できる人は謙虚な人が多いと思っています。