昨日の通夜式に続いて叔父さんの告別式に参列しました。暑い中、式場に宿泊した喪主さんは心身ともに相当疲れていたと思いますが、無事に告別式、お骨拾い、初七日までを終えることができました。自身の経験から考えると、疲れがピークに達していると思いますから、この三日間、本当にお疲れ様でした。
人が好きで話が好きな叔父さんだから、大勢の親戚に囲まれて賑やかで幸せな式になったと思います。小さい頃を思い起こすと、父を始めとして親戚が集まる機会が多かったように思います。麻雀が多かったように思いますが、子どもが参加するとトランプで遊んでくれました。遊びの多くの場合は七並べとババ抜きでしたが、大人とするゲームは楽しかったことを覚えています。棺桶には「七並べ」をしている写真が納められましたが、その顔は真剣で愉快な表情をしていました。
本当にたくさんのことを話してくれましたが、今思うことは「もっと話を聞かせてもらっておけばよかった」ということに尽きます。いつでも会えると思うから、「そのうち時間が出来たら」だとか「今日、予定があるからこの次の機会に話を聞かせてください」など言うことが多々あります。「いつでも会えるから」の気持ちがあるので、心はその場を離れて、次の予定に向かってしまうことがあるのです。
しかし「次はない」と思って接したら、もっと真剣に話を聞くことになりますし、一言ひとことを忘れないように聞くことになります。ほとんどの場合「この次の機会はある」ので最後だと思って話を聞くことはありません。「これが最後」と思って話をするなら、会話の内容は違ったものになると思います。
そこまで真剣に話をする人は少ないかも知れませんが、真剣に仕事に向き合っている一流の人は「無駄な時間にならないこと」を意識していますから、会っても時間が無駄と思う人と次の予定を組むことはありませんし、再会することもないことは知っています。
毎回、そんな気持ちで接していると忽ち疲れてしまいますが「真剣に話を聞かせてもらうこと」を意識するときも織り交ぜながら「覚えておきたいこと」「学びたいこと」を聞かせてもらいたいものです。
叔父さんには小さい頃からたくさん可愛がってもらいました。言葉で伝えられないぐらいお世話になりました。そして母親のことを「姉」と呼んで、「若いころからずっと苦労してきたから」といつも心配してくれていました。母親も二人の弟のことを何歳になっても「無理していないだろうか」と心配していました。
その時、お母さんが15歳のときに母を亡くしていますから、子ども三人で生活することが大変な環境でした。現代のように国からの支援制度は確立されていない時代だったので、どんなに大変だったのかは想像もできません。亡くなった叔父さんは「姉は賢い人だった」と話してくれましたが、両親を亡くして経済環境が厳しい中学生ですから、卒業後に就職して二人の弟の面倒を見たようです。そして二人の弟も中学校を卒業してから就職しています。
昨日から葬儀に参列している大阪の叔父さんは「僕らは中学校しか出ていないけれど、振り返ると人に恵まれて、仕事もやることができて幸せな人生だったと思います」と話してくれました。
そんな環境の下、可愛がってくれたことにも感謝しています。そして最後に、心から感謝の気持ちを伝えます。「長い間、本当にありがとうございました」