活動報告・レポート
2022年7月21日(木)
令和会
令和会
令和会

毎月一回開催している「令和会」に出席しました。今回、僕からは「大川小学校のひまわり」と「氷雪の門」のふたつのテーマを説明しました。

「大川小学校のひまわり」は、そこからいただいた命のひまわりの種を和歌山県で育成していますが、今年も花を咲かせたことを伝えました。命のひまわりをいただいたこと、そして育てていることは「和歌山県は東北の震災を忘れない」象徴的な活動です。

和歌山県で開催した「紀の国わかやま国体」開会式会場でも、このひまわりを咲かせて選手をお迎えしていますが、今もなお、この取り組みは継続させていきます。令和会の皆さんに和歌山県の良さを伝えました。

また「氷雪の門」の碑と「九人の乙女の記念碑」が稚内公園にあります。毎年、この場所を訪ねているのでその報告も行いました。ソ連軍による南樺太の侵攻の歴史は忘れてはいけない出来事です。わが国がポツダム宣言を受諾して終戦したにも関わらず、ソ連軍は当時、わが国だった南樺太に侵攻したのです。侵攻されて以降、世界地図ではソ連、ロシアの領土に書き換えられています。南樺太はずっと以前からロシアの領土だと思っている人も珍しくありません。特に若い人はサハリンの呼び名が定着しているので、樺太という地名も知らない人も多くなっています。

令和会

そこで起きた出来事を映画にしたのが「氷雪の門」であり、命を賭して日本を護った九人の乙女たちの物語なのです。そこに樋口季一郎氏の話も出てきました。「樋口季一郎がいなければ、戦後の日本の姿はどうなっていたか分かりません」と話してくれたように、「終戦したから戦うな」との大本営の命令に逆らってソ連軍と対決したお陰で、樺太からわずか40kmの距離にある北海道は護られたのです。ここでわが国が防戦していなければ、南樺太の次は北海道が侵攻されていたかも知れないのです。

南樺太の歴史の中に「九人の乙女」と樋口季一郎氏の物語が存在しているのです。ところがどちらの人物も歴史の中から忘れられようとしています。真の偉人、日本を築いてくれた人を忘れてしまう。そんな日本で良いはずはありません。

「和歌山県は決して東北の震災を忘れない」こと。そしてわが国は「樺太の北緯50度で起きた出来事」を決して忘れてはいけないのです。比較的、過去に起きたことを忘れやすい日本人ですが、忘れてはいけない歴史があります。そんな話し合いを行いました。

論文
論文

地元の大学生が事務所を訪ねてくれました。「この夏休みに論文の基礎を固める」ことが目的です。事務所には元教師がいるので、論文の指導をお願いしていました。

論文の書き方、論文構成を資料としてまとめてくれていたので、説明が分かりやすく感じました。書くためには出典として使う本や資料を読むこと、テーマに沿った現場に出掛けること、関係者や対象者と会って懇談すること。これだけでも論文の20ページ以上は埋まります。

夏休みの間に、最低10人には会って懇談の機会を設けたいと考えています。人と話す、現場を見る、本と資料を読むことで論文の骨格は作れますから、そこからその前提を基にして考え方をまとめていきます。

テーマとして「人生はお金が第一の価値」をテーマにした場合、学者の誰かが「お金が最大の価値」の著書を発刊していると思います。その著書が学会で取り上げられていることや、大学の講義で使われている場合には読むことは必須です。必須どころか必要個所を引用しなければなりません。一つの論文で最低20冊ぐらいは参考文献として引用したいものです。参考文献に引用した著書の質と冊数がとても大事です。

その分野の正論を基にして現場の意見を加え、自分の意見を提案、つまり持論を展開していきます。正論に落ち着くのか、反論するのかは現場の意見、取り扱ったデータ次第になります。論文構成をしている間は取り上げたテーマの結果は分からないので、自分でどんな結論づけをするのかが論文の面白さです。

大学生の彼には、そんな面白さを伝えていきたいと考えています。

その他
  • 関電労組和歌山地区大会が開催されました。会場であるプラザホープとWEBシステムを利用したハイブリッド方式での開催となりました。僕は会場で参加しましたが、リスク軽減のため感染対策を行いながらの開催でした。挨拶の中でこれまでの議会の取り組みを紹介しました。
  • 昨日お亡くなりになったYさんの通夜式に参列しました。ひまわりの花や好きなレコードやDVDが飾られて、本人にとっては幸せな通夜式のように感じました。
  • イベントの打ち上げを兼ねた懇親会を行いました。次回のイベント開催は9月の予定なので、今から楽しみにしています。