映画「氷雪の門」を知っている人は昭和から令和へ流れる時代と共に少なくなっていると思います。先の大戦でソ連軍が南樺太に侵攻した歴史は忘れてはなりません。この歴史はソ連がわが国に対する侵攻であり侵略と共に、兵士ではない南樺太に住む日本人が殺害されたのです。しかも昭和20年8月15日の玉音放送、終戦後もソ連軍の南樺太侵攻は続けられたのです。
そしてソ連軍の攻撃が激しさを増していく中、「みなさん、これが最後です。さようなら、さようなら」の通信を最後に、真岡郵便電信局の女性電話交換手9人が青酸カリを服用して命を絶ったのです。この侵略の歴史を描いているのが映画「氷雪の門」です。
ここ数年は毎年、稚内市の稚内公園の「氷雪の門」モニュメントと「九人の乙女の像の慰霊碑」を訪ねています。この公園から40km離れた樺太を遠く心で眺めています。ここから樺太との距離は40kmですが、夏は海温が上昇することから水蒸気が発生するのでほとんど見ることはできません。それでもこの北方に歴史の舞台となった樺太が存在しているのです。この記念碑の前に立つと、この国を護ってくれた九人の乙女たちに哀悼の意を示さずにいられません。
映画「氷雪の門」については、これまで何度も触れているのでここでは触れませんが、侵略とは戦争そのものであり確実に悲劇をもたらせます。侵略されたら無傷でいられるものではなく人も国も傷つき、奪われた領土は戻ってきません。国としてこの歴史は忘れてはならないのです。
ロシアによるウクライナ侵攻は解決の目途は立っていませんが、先の大戦の南樺太の歴史からみると侵略するまで止めないと思います。ウクライナ市民を巻き添えにしている2022年の現実は、昭和20年、1945年8月のソ連軍の南樺太侵攻とよく似ています。抵抗しない市民を侵攻によって殺戮する行為は戦争だからといって許される行為ではありません。人は歴史に学ぶべきですが、約70年前の歴史をもう忘れているようです。
今の時代においてこそ映画「氷雪の門」を観て欲しいと思いますし、観た後に稚内公園を訪れて欲しいと思うのです。今ここに存在していない人達の歴史がそこにはあります。歴史を知って現地に立つと、そのことが想像できるのです。
「どれだけ生きたかっただろう」「どんな思いで自害したのだろう」と思うと、込み上げてくる感情があります。しかも何度訪れても同じ感情が沸き上がってきます。この感情こそ歴史を忘れないこと、同じ歴史を繰り返さないこと、そして侵略は断固として許されるものではなく徹底的に行動することにつながるのです。
今から約70年前にわが国で起きた侵略と殺戮の歴史を知らないで、現代ロシアとウクライナで起きている現実に対する行動を取ることは簡単なことではありません。侵略されている側の思いを、この物語を知っている人は自分のことのように感じることができると思います。だから義援金なのか物資を届けることなのか、声を上げることなのかの手段の違いはあっても、それぞれが何か行動をしていると思います。
稚内市には「氷雪の門」の歴史の跡があります。樺太記念館も毎年訪れていますが、ここでも南樺太の歴史と「九人の乙女」が生きることを諦めてこの国を護ろうとした姿を知ることができます。彼女達の生きた時代と死を選択した歴史は、現代を生きる私達の悲しみでもあり誇りでもあります。
命を賭して護ったものは国であり誇りでもあり、日本人の未来だったのです。彼女達は、後の世の私達が日本人で生まれてくる未来を護ってくれたのです。ソ連軍に南樺太を超えて侵略されていたなら、戦後独立できていなかったなら、日本人として生まれることができなかったのです。ここに命を賭しても守るべきものが存在していた歴史を知ることが出来ます。
稚内市を訪れる度に気づくこと、学ぶこと、思いをはせることがあります。令和4年夏も稚内市を訪問できたことを嬉しく思います。