活動報告・レポート
2022年6月11日(土)
神武東征談義
神武東征談義

歴史を研究している中川義朗さんと会って神武東征と仏教伝来の話を聞かせてもらいました。この機会を設けてくれたのは、先週「片桐さん、神武東征の研究をしている中川さんという人がいます。特に近畿の足取りについて研究しているので会ってみたら如何ですか」と紹介を受けました。そうしたところ「中川さんに伝えたところ『片桐さんの噂は聞いています。神武東征や歴史を和歌山県議会で取り上げている方ですね』」と言っていたことを話してくれて今日の懇談に至りました。

事務所に来てくれてから数時間、懇談の時間をいただきました。

「神武天皇は高千穂から出立していますが、それには理由があったのです」と研究の一端を説明してくれました。

まず卑弥呼が高千穂に存在していたと仮定します。卑弥呼の別名は「倭迹迹日百襲姫命(やまとととひももそひめのみこと)」であり、「襲姫」とは、すなわち「曾の姫」だと推測できます。日本書紀では「日向の曾の高千穂に久士布流多気」にニニギノ命が三種の神器を祀っています。ニニギノ命は九州を平定して王権を握ります。卑弥呼はこの地、曾の姫だったことから女王に抜擢されます。

そして卑弥呼が亡くなった247年、神武天皇は邪馬台国を引き継いで大和を目指して高千穂を出立したということです。日本書紀から読み取ると、卑弥呼が没したのが247年、神武天皇が大和を平定したのが253年のことです。

以上のことは大幅に短縮しているので分かりにくいと思いますが、これらのことを日本書紀、卑弥呼のものと思われる箸墓古墳と神武天皇のものと思われるメスリ山古墳の出土品などから推測した結果で説明してくれました。

加えて「記紀」の記述から、神武天皇は実在していることを史実としなければ描写できないことがたくさんあると言うことです。

神武天皇は実在して東征を成し遂げて大和に入ったことを史実としなければこの国の成り立ちは説明できないので「研究の世界を発表し、そのことを訴えたい」と強く語ってくれました。

和歌山県は神武東征の跡がたくさんあります。「記紀」に記述のない空白の部分は「紀州の口碑」で伝えられています。「口碑」史書に書かれたものではありませんが、地元で伝わってきたその土地の歴史であり、決して作り話で片付けることのできない歴史の頁だと思います。和歌山県内各地で神武東征の口碑があり、地名にもその痕跡を見ることができます。移動手段が限られた時代において、地域が異なるところで神武天皇東征に係る口碑や地名が残されていることは、神武天皇一行がその地を訪れたことを物語っていると思います。そうでなければ厳しい歴史の洗礼に耐えて残ることはできないと思うのです。

和歌山県は神武東征の舞台のひとつですから、泉南市、阪南市などとも連携を図りながら、それぞれの地域に残された神社や石碑、口碑などを繋ぎ合わせていきたいと考えています。

地域に伝わる物語を繋ぎ合わせて歴史の一頁を飾ることができるなら、大変ですがやりがいのある作業となります。中川さんは地元の学習会で講師を務めるなど神武東征の研究を行っている方です。次回は阪南市を訪ねて地元の話を聞きたいと思っています。

そして現在、研究中の「神武天皇の実在性に関する一考察=神武天皇の御陵と実在年代の特定=」の原稿を頂戴しました。歴史好きの僕としては推理小説のように、わくわくしながら読んでいます。

神武東征の話に続いて「仏教公伝以前の仏教」の冊子をいただき、それに基づいて「仏様」に関する説明を聞かせてもらいました。この話も楽しくて勉強になりました。