京都から和歌山市に来てくれた経営者から「京都の会社やお店は何故、300年とか400年続いているところが多いのか分かりますか」と質されました。「歴史や伝統があることも要因だと思いますが、その本質は分かりません」と答えました。
そうしたところ回答を伝えてくれました。
京都では親しい人同士の貸し借りの文化があります。商売には浮き沈みはつきものです。良い時もあれば悪い時もある。時代によって浮き沈みがあります。京都の商売人はこれまでの歴史から、浮き沈みを乗り切る知恵があるのです。自分のお店が良くて隣近所のお店が悪かった場合、そのお店に対して資金面でもお客さんの紹介などの支援をするのです。困っているときに助け合う文化なのですが、浮き沈みがあるのが社会だと理解しているので、助け合うこと、融通し合う方が、長い時間軸で見たときにお互いに得になることを知っているのです。
自分のお店の経営が苦しいとき、隣近所のお店の中で景気の良いお店は必ずあります。今度は、そのときに助けたそのお店が自分のお店を助けてくれるのです。繰り返しますが、その支援とは資金面での支援でありお客さんの紹介などです。こちらが苦しい時を乗り切るために利益面でも売り上げ面でも助けてくれるのです。
この助け合いの文化が京都のお店や会社が長く存続できている理由なのです。「自分だけが利益を得る」という考えでは長続きしません。助け合うことが長続きするための方策なのは、伝統的なお店がたくさんある京都の歴史が証明しています。引っ張り合いの文化だと時代を超えて長く存続することはできないのです。それが京都の歴史と伝統であり強みなのです。
残念ながら「和歌山県の文化に助け合いは少ないですね。むしろ状況が悪いときに追い打ちをかけるように仕打ちをする文化があるように感じます」と評論してくれました。県外の人からのこの指摘は客観的視点に立つもので、全てが誤りとは言えないところがあります。批判や悪口、陰口の文化があるのは事実で、例え良い人でも業績が好調なお店でも、褒めることはしないであることないことの批判や悪口、陰口を言うことがあります。
「火のないところに煙は立たない」と諺がありますが、和歌山県においては「火がなくて煙を立たせていること」は珍しいことではありません。時には「何もないところに何かあるように仕向ける」ことが得意な人がいるのです。
「それが和歌山県のよくないところです」と指摘を受けたように、これは意識して変えていくべき文化です。社会は助け合うことで良くなります。批判や悪口、陰口で相手を落とし込むことは活力を失わせて地域社会の衰退を意味しています。京都が全て良いとは思いませんが、良いところは真似る必要があります。
また大阪府から和歌山市にお店を出したけれど撤退した人とも話しました。撤退した理由は「批判や悪口が多すぎるから嫌になった」ことが原因です。自分が悪ければ周囲の人の責任にする傾向があります。和歌山市内で商売をしたところ、そんな体質があることを感じて「和歌山市から撤退して大阪に戻った」ということです。これは残念な結果ですが、そう感じたことは事実なので、それを受け止めて改善していく必要があります。指摘された事実を認めなければ、いつまで経っても同じことを繰り返すことになります。
これからの和歌山県の発展を願って、厳しいことですが県外の方から指摘を受けたことを記しました。