活動報告・レポート
2022年5月26日(木)
相談への対応
告別式

父の妹が亡くなり、本日は告別式と初七日を執り行いました。寂しさを感じるとともに「こうして時代は変わっていくのだなぁ」と感じました。幼い頃に可愛がってもらった記憶があり、今でもそのままでいるように思っていたのですが、もうその頃から50年以上も時間が経って世代が移ろうとしています。僕の父は片桐の長男であり、兄弟の中で初めての子どもだったこともあり兄弟から「とても可愛がってくれた」と聞いたことがあります。

親戚同士が常日頃、行き来していた時代だったので、叔父さんや叔母さんのことで覚えていることもたくさんあります。幼い日の出来事を思い出した懐かしさとともに、時代は気づかない間に過ぎていると感慨に浸りました。かつて子どもだった僕たちに話をすることによって経験を伝えてくれたのは「大きくなったとき、社会に役立つ人になれ」「人に迷惑をかけるな」の教えだったと思います。

その後の生きた過程を振り返ると、その教えが沁みついているように感じます。いつの間にか、今度は経験を伝える年齢になっています。あの頃の大人と比較すると精神的には幼いように感じるのですが、後を託された一員として社会のお役に立つことが大事だと再認識しました。

親戚の叔母さんが最後に言いました。「いい世界にいけるから」と。心からご冥福をお祈りします。

相談への対応

問題が発生すると自分を正当化して、この問題に関わった人の責任にする人がいます。

残念なことに、仕事で問題が発生したときは自己責任にも関わらず「あんな人を紹介したからこんなことになった」という人がいます。自分の責任に言及しないで全てを紹介者など人の責任に転換している話を聞いた人は「この人には人を紹介できない」「この人は問題が発生した場合、人の責任にする人なので、この人には仕事を依頼できない」「契約に基づいた仕事をしているはずなのに、仕事が止まったら紹介者の責任にしていることは信頼できない人だ」と思うことになります。

特に社会で活躍している人や法に基づいて仕事をしている人は、批判や噂は聞きたくありませんし、そんな話は信用もしません。話を盛っていることは見抜いていますから「この人の話は8割引いて、本気で相手にしないでおこう」と思うのです。

「言った、言わない」は問題解決の何の役にも立ちません。むしろ不信感を招くだけなので、起きた事実を基にして問題に取り組むことが原則です。

社会でキャリアを重ねた人や実践、実学を重ねてきた人は人を見抜きますから、人の評価を下げて自分を高く見せようとする人は信用できないと判断します。可哀そうなのは、人の批判や悪口を言う人、自分を正当化する人、自分の都合の良いように事実を変えて伝える人たちで、それは「自分は信用できない」と伝えているようなものです。

今日現在、解決すべき問題を出し合って、解決方針を話し合っている中で「主観だけで話をする人は、その事実関係が分からないので問題解決に時間がかかりますね。自分は悪くないと話を変えて言う人の話は、裏取りが必要となるので余計な時間がかかりますね」というように「悪い人のせい」と無理な正当化を言い張る人は「信用できない」と評価されますから、さらに解決が遅れることになります。問題が発生したとき、その人物が分かります。

この事例を基にした話を前提として、問題解決のための協議を行いました。現在の依頼を受けている法的な問題、数件への対応をひとつずつ検討しました。