活動報告・レポート
2022年5月15日(日)
小野田寛郎翁植樹記念石碑建立一年祭
小野田寛郎翁植樹記念石碑建立一年祭 小野田寛郎翁植樹記念石碑建立一年祭

「小野田寛郎翁植樹記念石碑建立一年祭」と「陸奥宗光先生乃像建立50周年記念冊子」のご祈祷を行ったこと。竈山神社にて執り行いました。

早いもので「小野田寛郎翁植樹記念石碑」を建立したのが令和3年5月16日だったので、丁度一周年になります。小野田寛郎翁の思いと私達発起人が石碑を建立したときの思いを持ち続けることを願って式典を執り行いました。そして昨日完成したばかりの「陸奥宗光先生乃像建立50周年記念冊子」を本日、竈山神社に奉納したので、故郷の偉人を誇りに思い活動する精神を大切にするよう祈念していただきました。

小野田寛郎翁植樹記念石碑建立一年祭

小野田寛郎翁と陸奥宗光伯の二人の故郷の偉人を竈山神社で祈念していただき、今ここに結びついたことを嬉しく思います。

実行委員会臼井事務局長からメッセージをいただきました。

「片桐顧問、当会を代表していただいて小野田寛カ翁植樹記念石碑建立1年祭及び記念誌御祈祷 有り難うございました。『身を殺して仁を成す』、わが国の為に生命をかけて薨去された五瀬命(いつせのみこと)と陸奥宗光伯、神の世で邂逅なされたものと、心より嬉しく思います」

この竈山の地において故郷の偉人の魂が結びついたと思います。現代、故郷の偉人を称え教育に活かし次世代につなげる活動を続けている実行委員会として格別の思いに浸ることができました。

一年前の令和3年5月16日。石碑の建立場所で吉良宮司から「石碑は人間の寿命よりも長いので未来もずっとここに残るものです。私達が消えても名前は残るのですから、石碑に名前を刻むということは覚悟を決めるということです。石碑に名前を刻んだ皆さんの今後の活動が試されていますから期待しています」と話してくれたことを覚えています。

神殿に入りご祈祷をいただい後、小野田寛郎翁の石碑の前に立つと、その時の思いが蘇ってきました。「偉人達と同じ覚悟を持って日々生きているのか」と思いを巡らせました。

小野田寛郎翁植樹記念石碑建立一年祭 小野田寛郎翁植樹記念石碑建立一年祭

実行委員会では覚悟を持って小野田寛郎翁の石碑を建立し、令和4年には「陸奥宗光先生乃像建立50周年記念冊子」を作成し、ここでも名前を刻みました。既に多くの活動の足跡を記していますが、この先には故郷の誇りを取り戻すための活動が待っています。それは子ども達への教育であり故郷の偉人の功績と志を訴え続ける活動です。

その一つが令和6年7月13日から15日の間、開催予定の「龍馬World in和歌山」「龍馬と宗光 未来への伝言」です。不平等条約改正130年の年にあたるので祈願達成130年の記念の年になります。つまり維新の志士達が目指した世の中は130年後にあたるのです。彼らの志が成就したのは彼らが活躍した時代から130年後の日本だったのです。志を持った行動は受け継がれていき、後の世に姿を現すことになります。名前を刻んだ石碑は、その覚悟を目覚めさせてくれるものでした。

また式典までの間、宮司さんと境内を清掃しました。清掃する姿に接して、玉砂利が整えられていく音を聴いて心が深く落ち着いていく心の動きを感じました。心を鎮めて落ち葉を拾っていると、これほどホウキと玉砂利が触れる音が心に届くものかと思いました。

小野田寛郎翁植樹記念石碑建立一年祭

宮司さんは「雨の降った翌日、玉砂利は地面に沈んでいきます。掃いて整えなければ地面に食い込んでいくのです。雨の翌日はホウキで掃いて玉砂利を動かしているのです。それでもこの上を人が歩くことで玉砂利は押さえられていますから、地面に食い込んで固まっていきます。ですから耕運機で時々、地面を掘り起こして維持しているのです」とご苦労を話してくれました。

きれいな場所、きれいなモノには人が関わっていることが分かる話です。きれいな日本、きれいな和歌山県を残すためには、常に人が手間暇をかける必要があるのです。この手間暇は人には分からないので常にきれいに保たれているように見えるのですが、人が関わることできれいさが保たれているのです。

竈山神社での時間は、覚悟を目覚めさせ心が清められた日となりました。