活動報告・レポート
2022年4月29日(祝・金)
昭和殉難者法務死追悼・年次法要
昭和殉難者法務死追悼・年次法要

高野山で開催された「昭和殉難者法務死追悼・年次法要」に参加しました。感染症の影響があり一昨年、昨年は祭主だけで実施していたため、これまでの規模で開催するのは3年振りのことです。雨の高野山でしたが、昨年よりも人通りは戻ってきているように感じました。

この「昭和殉難者法務死追悼・年次法要」の趣旨は、同会のホームページから引用させていただきます。

終戦後、戦争犯罪人として、はかなくも散っていった悲しき英霊達。今日の日本の平和と繁栄のため、自らの魂を賭してこの世を去った彼等・昭和殉難者を思うと、哀惜の念は止むことはありません。平成6年3月15日、その魂を悼み、聖地高野山奥の院に追悼碑・刻銘碑が建立されました。

戦争の悲惨な歴史が人々の記憶から風化しつつある昨今、亡き英霊達の魂の安らぎを心から祈りつつ、彼等の声に耳を傾けて頂きたい。そう切に願うものであります。

この法要のご指導いただいたのは高野山真言宗管長総本山金剛峯寺 座主 葛西 光義 猊下であり、厳かで神聖な祈りを御霊に捧げていただいたように感じます。雨の降っているテントの内に読経が染み入るような祈りの心と声が伝わってきました。

心からご祈念し心穏やかになれる瞬間であり、葛西 光義 猊下が座主を務めるこの場に参加できた幸運を感じるばかりです。

昭和殉難者法務死追悼・年次法要

そして式典の締めくくりに祭主が挨拶で述べた言葉が心に響きました。以下は祭主の言葉ではありませんが、僕が挨拶を聞いて解釈したことや感じたことを記します。

ここに祀った1184人は戦犯として拘束され処刑された方々であり、さぞかし無念だったと思います。しかし無念さの中にも祖国の繁栄を想い、後を託した人達がきっと復興を遂げてくれることを願っていたと思います。何年間も祭主を務めて御霊と会話を続けてきた私は思うのです。

無念さはあったとしても、それ以上に人を赦すことも想っていたのではないだろうかと思うのです。赦すことで新しいことが生まれるので、戦後、わが国は残された人達によって国家の繁栄を築いてこられたのです。

そして日本人が持っている普遍的な価値、敵であっても赦す文化は国境を越えていかねばなりませんし、人から人へと語り受け継いでいくべき心です。21世紀になって起こることがないと思っていた出来事があります。ロシアによるウクライナ侵攻です。

侵攻に至ったことは現実なので元に戻すことはできませんが、日本人が持つ価値である赦すことが伝われば、紛争解決につながるのではないかと思っています。日本の発展は赦す文化があったことで成し得たと思うからです。恨みや憤り、憎しみや仕返しの心を持っていて国家が繁栄できるはずはありません。

昭和殉難者が未来を生きる私達に託したものは、己の無念や恨みを晴らすことではありません。自分達の死が日本の復興とアジア繁栄の基礎を築いてくれると信じて、後の時代人達に思いを託したのです。見事にわが国は昭和の復興と繁栄、平成から令和へと続く時代の発展を導いてきたのです。

ここに法要を執り行うことの意義は、御霊に感謝の気持ちを捧げると共に世界に日本の普遍的価値である赦す文化を伝えることにあると思います。アジア、世界の平和を願う日本人として祈りを捧げたいと思います。

昭和殉難者法務死追悼・年次法要

法話を終えた後の懇談会で祭主は「テントの下で原稿を読み返し、7回も修正のペンを加えたので雨に濡れて挨拶原稿が滲んで読めなくなってしまいました。そこで話すことが混乱したのですが、向き合っていた座主が『それでいいですよ』と語りかけたくれたように感じたので、思ったことを話しました」と話してくれました。

この話を聞いて、現地に立って感じたことを表現することで心に響く言葉になると感じました。素晴らしい「昭和殉難者法務死追悼・年次法要」になったことを報告します。