令和4年3月20日に記載した「岡崎邦輔氏」の活動報告を読んでくれた方々から意見をいただきました。故郷の偉人の記事について反応をいただいたことは故郷を想う人がたくさんいることなので、とても有り難いことです。
1.ご意見1
現在、和歌山市内でも話題になることが少ない岡崎邦輔さんのことに触れてくれたことを嬉しく思います。それも陸奥宗光伯を顕彰する活動から話が及んだことを聞いて、二人の関係から岡ア邦輔氏の話題に及び、陸奥宗光伯と一緒に名前があがることを期待しています。
私のところに「片桐さんが岡崎邦輔さんのことを知っていることや、岡崎と縁戚関係にある陸奥宗光さんを称える活動をしてくれていることを知り、心から嬉しく思っています。故郷の偉人を称えている片桐さんの活動の支援をしたいと思いますし、陸奥宗光伯の講演会などに参加したい」と話していたことを伝えてくれました。
岡崎邦輔氏の本家の人が向陽高校の担任の先生だった岡ア先生です。その身内の方と話をしたときに岡ア先生と岡崎邦輔氏との関係を知りました。故郷の偉人の物語は語り継ぐことが大事なことですから、できるだけ早い機会に岡崎先生と会って話したいと思っています。
2.ご意見2
岡崎邦輔さんのことがご縁で陸奥宗光伯のことに話が展開したことは凄いと思います。二人の関係を知っているから話が展開できたと思います。歴史や偉人のことを知ることは現代の活動や人との関係にも生かせるものだと思いました。故郷の偉人を顕彰する活動が拡大することを期待しています。
岡崎邦輔氏の話がきっかけとなり、ご縁が広がったことを嬉しく思います。このようなこともあるので、私達は故郷の偉人の功績を知る必要がありますし、ときには話題にすることも大事です。
千葉県銚子市に和歌山県出身者の子孫により結成された「銚子木國会」という会があることを教えてもらいました。この会は明治31年に結成されたもので、会長は濱口道雄ヤマサ醤油社長だそうです。毎年5月5日に妙福寺境内にある「紀国人移住碑」の前に集まり慰霊祭を開催し、先祖の遺徳を偲びつつ銚子市のために働く誓いを新たにしていると聞きました。
銚子市と和歌山県との関係は湯浅醤油に由来しているそうです。話によると「紀州湯浅では鎌倉時代から醤油を造り始めました。その醤油は京都や大阪の市場に出していたのですが、醸造元の一人である初代濱口儀兵衛氏は1645年(正保二年)に千葉県銚子に渡ってヤマサ醤油を創業したそうです。銚子市は大消費地である江戸に近い立地条件と、運送に便利で材料の大豆や小麦塩も入手しやすい地域であり、気候も紀州に似ているので醤油醸造に適しているからでした。それ以来12代にわたって当主は儀兵衛を名乗り「濃口醤油」を現在も醸造しているのです。
濱口儀兵衛氏が和歌山県から銚子市に渡り、ここで醤油づくりを始めたことから銚子市の産業となり収入を得られたことから、この醤油づくりに携わる皆さんは和歌山県への感謝の気持ちを持ち続けているそうです。
その皆さんが「紀州木國会」を設立して和歌山県への感謝の気持ちを忘れないように活動しているそうです。そして毎年5月5日に妙福寺に集まって感謝の気持ちを伝えていると聞きました。
その妙福寺の境内に「紀国人移住碑」と刻まれた石碑が建ち「銚子港もと海浜の一僻地、今日の繁栄はひとえに我が紀国人の開拓の功による」と刻まれているそうです。
和歌山県在住で「銚子木國会」の会員でもある知り合いから、この話を聞かせてもらいました。和歌山県と銚子市が偉人の功績でつながっていることを知り、銚子市を身近に感じられました。