闘病中のYさんのお見舞いに伺いました。部屋に入るとニコッと最高の笑顔で迎えてくれました。「来てくれたのですね。ほんまに嬉しいわ」と元気な声を聞かせてくれました。
ご家族から「今日、とても元気があるのです。おにぎりを食べてくれました」と話してくれました。最近は食欲がなく、ほとんど何も食べていなかったことを聞いていたので、この言葉を聞いて「おにぎりを食べたのですか。おいしかったでしょう」とYさんに伝えました。
体調が良いみたいだったのでYさんと会話を楽しみました。「ブルーマウンテンの香りは良いなぁ」と挽きたての珈琲豆の袋を開けた途端、部屋の中にその香りが広がりました。みんなで「良い香りがするね。明日、飲みましょう」と笑顔で話し合いました。
ご家族から昨日、病院で検査をしたことを聞き「今週末に体力回復のために少し入院します」と話してくれました。「一週間ぐらいすれば戻れるから、少し大変だけれど体力を戻してみんなで美味しい珈琲を飲みに行きましょう」と話しました。珈琲好きのYさんにぴったりの行き先だと思います。何度も頷いてくれ喜んでくれたことを嬉しく思います。
「来てくれただけで嬉しいです。大事な時間なのに私のために来てくれてもったいないことです」と言うので「もったいないことなんてありませんよ。会いたくなったから会いに来ただけですから。私達は戦友みたいな関係ですよ」と話しました。昨年までの2年間、近隣とのトラブルが発生していたので、解決のために何度も集まって協議をした仲間です。
発生から2年という長い時間を要しましたが、無事解決したので平穏な日々を取り戻したばかりです。「静かな気持ちで横になれるのは、そのお陰です」と話してくれましたが、平穏な日常を取り戻したので、穏やかに過ごせていることを感じます。
何気ない毎日と会話、そして珈琲の香りを楽しむ時間。こんな日々が続きますようと、そっと心の中で祈りました。
県民文化会館で「和歌山県誕生150年記念式典」が開催されました。明治4年11月22日に現在の姿の和歌山県が誕生してから150年が経過しています。正確には令和3年11月22日が150回目の「ふるさと誕生日」なのですが、コロナ禍のため本日に延期して開催したものです。当時の県議会一般質問で「和歌山県誕生150年記念式典を開催して、県民の皆さんとお祝いしよう」と提言しただけに、無事に開催できたことで感慨も一入です。延期になったので、この日を楽しみに待っていました。
1.「和歌山の近代150年を問う」
式典の中の記念講演として御厨貴氏から「和歌山の近代150年を問う」と題して、歴史地理学的に和歌山県を説明してくれました。話の中で感じた僕の主観を伝えます。
歴史は大きく掴まなければ本質は捉えられない。そして人の息遣いを大事にしなければ歴史を学ぶ意味はない。歴史を学ぶ上での二つの考えを示してくれました。
この二つをミックスすることが正しい学びだと思います。歴史は鳥瞰しなければ流れは分かりませんが、生きた人の息遣いを感じられないような表面的に出来事を追うだけでは、歴史を語ることも伝えることもできないということです。
和歌山県のことを世界に開かれた歴史を持っている稀有な県であることも伝えてくれました。それは和歌山県がアジアに突き出した半島であり、海に面していることから黒船に先駆けて外国船が来ていたからです。
1791年のアメリカからレイディワシントン号が和歌山県串本町に来たことや、イギリスのノルマントン号事件など、和歌山県が世界とつながっている歴史があります。これらの出来事が先進的な県民性を誕生させたのです。
このノルマントン号事件では、日本人を助けなかったイギリス人が無罪になったことから「法が大事」だと実感したのです。このことから不平等条約の改正が必要だとの機運が醸成することになり、不平等条約の法と関税のうち、法の改正を優先する選択をすることになったのです。
ここで故郷の偉人である陸奥宗光外務大臣の登場です。陸奥宗光伯の今日的な評価は「即断できる人物である。そのため判断が正しくて問題解決の本質に当たる場合もありますが、ときに判断を誤ることがあり、窮地に陥ることもあったのです。しかし追い込まれてからの決断と対応が素晴らしかったので外交史に残る仕事を果たしたのです」ということだそうです。
その才能が感じられるエピソードがあります。欧州に研修に行っていたとき、ヨーロッパで議会制度ができるまで「200年かかった」ことを聞いたのです。通常であれば「これは無理だ」と諦めるところですが、陸奥宗光伯は「日本は20年でやらなければいけない」と感じて実行に移そうとした考えです。追い込まれてから本領を発揮する人物の一端を感じることができます。
そして陸奥宗光伯は次のようなことを感じていたそうです。
「日本人の愛国心は危うさを持っている。自分の考えや主張を肯定し、他人の発言や考えを小馬鹿にして否定する。外国との関係において危うさがある」との考えを持っていたようです。陸奥宗光伯が感じたこの危うさは現在のSNSで十分に発揮しています。
それは自分の主張に相反する考えは撤底的に否定し、そして徹底的に追い込む人がいることです。自分の主張が正しいと自己肯定が過ぎるあまり、人の意見や考えを否定して追い込んでしまうことは国際社会では危険なことです。陸奥宗光伯の慧眼に恐れ入りますし、外交によって、つまり話し合いによって問題を解決してきたやり方を学ばねばなりません。
2.「わが生地、わが聖地・熊野」
記念講演の第二部は作家の辻原登氏の講演です。これも僕の主観で学んだことを以下に記します。
人間は神様が創ったとしか思えない神秘性を持っている。命が与えられていることや自然界での役割は何なのか、私達は解明できないので、神の存在があると考えたのです。
ところが神が創った人間の身体は機械ではなく壊れやすいものになっています。しかし心は身体よりももっと壊れやすいのです。心は言葉で簡単に壊れてしまいます。ところが身体を治すのに薬がありますが、心を治す薬はありません。
では心を治す薬は何なのでしょうか。それは言葉です。言葉が心のワクチンになるのです。歴史が伝えている心のワクチンは神話、歴史書、物語、和歌などがあります。その中で最も効果がある心のワクチンは神話なのです。人は神話を作り、神話に書いた言葉によって心を作ったのです。
神話が誕生した地域には、心のワクチンとなるように言葉に満ち溢れています。それが言霊であり聖なる場所の本質なのです。和歌山県はわが国の神話の舞台になっているので、言霊に満ちた県です。
さて神話の聖地である熊野とは黒の文化を持っています。八咫烏や熊野の森など悪霊を清める黒の文化を持つ地域です。もうひとつは神が宿る地域だという一面を持っています。
大和の国を中心にして東西南北に直線を引きます。太古の時代、方位は科学でした。都から直線を引いた先に神が宿っていると考えたのです。大和の国から東の方位は伊勢、西の方位は出雲です。北の方位は白山で南の方位が熊野なのです。現代にまで伝わる見事な方位です。文路意図は魂を鎮める場所を決めておく必要があり、大和が現生であるなら直線の先にある最も遠い地点が神の世界であり、魂を鎮める場所なのです。
熊野は太古より神の世界であり、現代に至るまでずっと魂を鎮める場所なのです。
辻原登氏からの告知です。
令和5年1月から日本経済新聞で陸奥宗光伯の連載小説を書くことが決定しました。タイトルは未定ですが作品名の案は「大いなる幻想」です。故郷の外務大臣の生涯を故郷の作家が書いてくれることに期待しています。